マリブのブログ

ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ

映画『劇場』の私的な感想―メリーバッドエンドな純愛哀歌から送られる無限ループのラブレター―(ネタバレあり)

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Gekizyo/2020(日本)/136分
監督:行定 勲
出演:山﨑 賢人、松岡 茉優、寛 一郎、伊藤 沙莉、浅香 航大、井口 理、上川 周作、大友 律、三浦 誠己

 又吉の原作小説

まるで、アルミ箔を奥歯でおもいきりかみちぎってしまった時の様な鈍い感覚が口の中に何時までも残り続け、この映画を観てから半月近くも自分は途方に暮れていてしまった。

 

演劇とはなんだろう?

彼らはただ人にものを伝える事が全てだと言う。

だけどこの映画の中での出来事の様に、それが誰かの大切な思い出を、限りなく可能性が広がっていたはずの将来を、或いは、自信のない自分を必死で保つ為の自尊心を破壊していい理由になるはずもない。

 

すっかり文豪の一人に溶け込んでしまった芥川賞作家又吉の『火花』よりも少し前、彼の“原点にして書かずにはいられなかった不器用な恋”なんて謳われていると随分聴こえはいいけど、この原作を映画化する話を聴いた時から、少しだけ不安は感じていた。

それでも、、

性描写の一切ない又吉の原作なら、きっとリアルには映らないはずだ。

或いは、自分達が”情熱”と錯覚する現実を、アンニュイな映像でやんわりとした純愛劇にボカしてくれる名手の行定組に、少し甘え過ぎていたのかもしれない。

 

だけど、いざ突きつけられた映像はあまりにも強烈で残酷だった。

 

ゆっくりと指で秒針を巻き戻したくなる様に、「いつまでもつだろうか?」と力なく呟く山崎賢人のかすれ声は、誰かの人生をまるごと狂わせてしまったヤツでもない限り、誰の胸にも届く事はきっとないのだろうと、往生際悪く何時までも言いわけを考え続けていた。

 

 

 

あらすじ

夢を叶えることが、君を幸せにすることだと思ってた—
演劇を通して世界に立ち向かう永田と、彼を支えたいと願う沙希。
夢を抱いてやってきた東京で、ふたりは出会った。
中学からの友人と立ち上げた劇団「おろか」で脚本家兼演出家を担う永田(山﨑)。
しかし、前衛的な作風は上演ごとに酷評され、客足も伸びず、劇団員も永田を見放してしまう。
解散状態の劇団という現実と、演劇に対する理想。
そのはざまで悩む永田は、言いようのない孤独を感じていた。
そんなある日、永田は街で、自分と同じスニーカーを履 いている沙希(松岡)を見かけ声をかける。
自分でも驚くほどの積極性で初めて見知らぬ人に声をかける永田。
突然の出来事に沙希は戸惑うが、様子がおかしい永田が放って おけなく一緒に喫茶店に入る。
女優になる夢を抱き上京し、服飾の大学に通っている学生・沙希と永田の恋はこうして始まった。
お金のない永田は沙希の部屋に転がり込み、 ふたりは一緒に住み始める。沙希は自分の夢を重ねるように永田を応援し続け、永田もまた自分を理解し支えてくれる沙希を大切に思いつつも、理想と現実と間を埋めるよう にますます演劇に没頭していき―。
「一番会いたい人に会いに行く。こんな当たり前のことが、なんでできなかったんだろうね。」
Filmarksより抜粋

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 虚構を秘めた者のしこり(※以下、ネタバレあり)

今だったら、破天荒を気取っていた自分を笑い者にして、きちんとやっていける。


劇場』とは、そんな自分達の取り戻すことのできない過去のしこりだった。

 

髪の毛をいじくる仕草から“永くん”の足にしがみついて大声で泣きだす演技まで、病的な愛情で相手を繋ぎとめようとする松岡茉優の芝居は、想像していた枠を遥かに超え、恐怖さえも感じさせる程の激情を見せつけてくる。

往年の窪塚洋介の気だるさを纏わせた様な山崎賢人の視線からも、それに引きずられる様にいつもの力強い眼差しがすっかり消え、ふたりの共依存の関係で繰り返される日常の儚さに、ゆっくりと息が詰まっていく。。

 

自分が映像の道を志した時からこの惨めな現実を客観的に目の当たりにする日は、いつか来るような気はしていた。

原作の中で又吉は言う。

劇的なものを創作から排除したがる人の殆どは、作品の都合で平穏な日常を登場人物に与えていることに気づいていない」と。

それでも、自分の都合で平穏を望む者の日常を木端微塵に打ち砕いてでも他人に幻想を観せる事に、どれだけの値打ちがあるというのだろう?

 

文学や演劇、或いは映像等の漠然としたものの力を借りて、実際にそのすぐそばで寄り添ってきた者をないがしろにしてきた人生には、まさしく『劇場』そのままの虚構しかない。

 

そんなまるで他人事とは到底思えない様子をまざまざと見せつけられた時、肌身の感覚でこの映画を観た街のリアルな声が、どうしても聴きたくなってしまった。

 

 

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 無限ループのラブレター

自分が何よりも恐れていた事は、この映画で自分達自身が救われてしまう事だった。

少し自虐的に言えば、或いはもうとっくにバレてしまっているだろうけども、芸能の世界に身を置く者の殆どは、大抵不器用なナルシストに決まっている。

自分達はその承認欲求を開き直って”夢”と呼び、自らがまっとうに生きられない言いわけを何時までも探し続ける。。

 

結局、その苦しみから逃げる様にこの映画を喧伝しまくった結果、一人の少女の感想に辿り着く事ができた。

彼女はこの映画に、”無限ループで送られ続けるラブレター”という副題をくれた。

つまり、ろくでもない独りよがりの”永君”は正に自分だ。

そして誰かの”さきちゃん”になる事でその贖罪を果たそうとする姿にこれから”永君”になる覚悟を決め込んでいる彼女は、そのメリーバッドエンドな下北純愛哀歌の世界に巻き込んでしまった自分でさえも、きっとまだ自信を持てない”さきちゃん”の部分で救おうとしてくれたのだろう。

 

だけど、あっけない幕引きの原作のラストは映画にない。

二人の夢物語を語り終え、エンドロールが流れ続けても座り続けてくれている”さきちゃん”は、きっと監督からの、全ての報われない道を踏み出した者達へのせめてものはなむけだ。

この独特の臭いの中で下北に点在する実在の劇場「OFF・OFFシアター」から「小劇場 楽園」、「駅前劇場」等のすべてを、スタジオセットで忠実に再現させ改変してくれた映画ならではのラストシーンは、原作では”さきちゃん”との別れの前の数分間のアパートでの茶番劇のままで終わる。

つまり、その小箱のままの小さなホールでしか成功出来なかった彼の“劇場”にでさえ、実際の”さきちゃん”が足を運んでくれる日は永遠にこないのだ

”猿のお面”で自虐的な笑いを取ろうとする”永君”の姿が、自分達のどうしようもなく滑稽でちっぽけなプライドの塊として、いつまでも頭の中でリフレインする。。

 

相変わらずの悲観論者として勝手にのたうち回る自分にアドバイスをくれた彼女は、その惨めだが貫き通す覚悟を決めた夢の世界を、一度きりの人生に見切りをつけてきた人にだけは絶対に否定されたくないと言う。

自分達は”安全な場所”さえも捨て去り、この道を突き進む事しかもうどうせできやしない。

こうして無限に依存しあう関係の先で、誰かに繋がれていく思いそのものこそが、僕達の願う本物の『劇場』だ。

 

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