マリブのブログ

ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ

映画『ドニー・ダーコ』の私的な感想―銀色の兎の新解釈と孤独を癒すパラダイム―(ネタバレあり)

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Donnie Darko/2001(アメリカ)/113分
監督/脚本:リチャード・ケリー
主演:ジェイク・ジレンホール/ジェナ・マローン、ドリュー・バリモア、メアリー・マクドネル、パトリック・スウェイジ、マギー・ジレンホール

 新世紀最高のカルト映画

最近妙に、心が穏やかになってきた気がする。

それが年のせいなのか、世間に渦巻く疑心暗鬼の渦中から、少し距離を置いてみた事が理由なのかは、分からないけど。。

 

ストレス加担のコロナ自粛の影響は、冷静になってみると、自分にとってそんな悪い事じゃないかもしれない。


現にこんな事でもなければ、新世紀最高の超難解カルト映画と呼ばれるこの作品に、真面目に向き合ってみようと思う事さえ、多分なかっただろうから。。

 

そうして腹を据え、この映画に挑戦しようとはしてみたものの、80年代ニューウェーブ・ロックが全面に押し出されるこの予告編映像は、正直、やっぱり苦手だ。


僕らのエンケンが、いくらそのダンディーなバリトンボイスで語ってくれていても、どうしても画面いっぱいから溢れまくるキッチュなハリボテ感に苛立ってしまう。

浮かれ騒ぐバブル世代を薄っすら横目で眺めてきたロスジェネ世代の自分にとっては、その独特の高揚感は、羨ましさも含めてかなり胡散臭いのだ。

 

おまけに、メタリックなフォルムの“銀色のうさぎ”をメインヴィジュアルに添え、終始難解な言葉を呟く“死神オババ”から偽善ぶった宗教家等、チープでオカルトチックなオブジェが、劇中には盛り沢山。

その解釈にいちいち足を取られていると、いつの間にかストーリーラインさえも見失ってしまい、何度もリモコンで巻き戻しをさせられる。。

 

だけど、ケレン味たっぷりなこの映画を見終えた後には、何故だか妙な爽快感を感じてしまった。

 

それは、この作品で新人監督デビューを果たしたリチャード・ケリーの戸惑いに、僅かばかりの親近感が湧いたからなのか?

或いは、その子供じみた悪ふざけを、どこか懐かしく感じられたからなのか?

 

今回はその辺の妙味を、出来るだけじっくり深く掘り下げてみたい。

  

 

 

 

 

あらすじ

1988年、アメリカ・マサチューセッツ州ミドルセックス。
ある晩、高校生ドニー・ダーコの前に銀色のウサギが現われる。
ドニーはウサギに導かれるようにフラフラと家を出ていく。
そして、ウサギから世界の終わりを告げられた。
あと28日6時間42分12秒。翌朝、ドニーはゴルフ場で目を覚ます。
腕には「28.06.42.12」の文字。
帰宅してみるとそこには、ジェット機のエンジンが落下していてドニーの部屋を直撃していた。
何がなんだか分からないながら九死に一生を得たドニー。
その日から彼の周囲では、不可解な出来事が次々と起こり始めた。
allcinema ONLINEより抜粋

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 タイムトラベルの哲学

とは言え、まずこの難解映画を全くの予習ナシで観るのは、ちょっとお勧め出来ない。

なぜなら、ディレクターズカット版でも観ない限り、この映画の骨格に携わる重要な哲学が、劇中から実はバッサリ省かれているから。。

 

白髪鬼のような髪を振り乱し呪文を唱える“死神オババ”事ロバータ・スパロウは、この映画の重要なエスプリとなるタイムトラベルの哲学という理論を裏設定で唱える。

そしてこの概念を頭の隅に少しでも留めておかないと、監督のコンセプトは一向に伝わらりづらく、それがこの映画がリバース・ムービーと呼ばれる所以だ。

 

①プライマリー・ユニバース(主宇宙)・・自分達が存在する世界

②タンジェント・ユニバース(接宇宙)・・主宇宙で事故が起こった時に生成されるパラレルワールド(一定の期間しか存在する事ができない)

③アーティファクト(オブジェクト) ・・主宇宙から接宇宙に間違って送られた物質。(金属製の物質のみが該当)

④リビング・レシーバー(生ける受信者)・・アーティファクトを主宇宙に戻す役割を与えられた者(接宇宙が生成された時に選定され、一種の“超能力”を得る)

⑤マニュピレイテッド・デッド(操られる死者)・・接宇宙で死んだ者(リビング・レシーバーを助ける役割を持つ)


少々スノッブなきらいもあるこれらのイディオムは、真剣に考えるとちょっとややこしいけど、幾分俯瞰に見てもらえれば、何となくイメージは湧く。

 

つまりこの映画は、オカルトではなく、タイムトラベルを繰り返す少年のSF冒険記になるわけだけど・・

そして、この概念にそれぞれを当てはめていくと、、

アーティファクト=飛行機のエンジン

リビング・レシーバー=主人公のドニー

マニュピレイテッド・デッド=フランク、グレッチェン、・ローズ(ドニーの母)、サマンサ(妹) 

という方程式が出来上がる。

 

それならこの冒険記は、劇中にも引用されたホーキンスの宇宙論に触発されて創作した、只の空想小説なのかと言えば・・・

答えはそんなに単純じゃない。

なぜなら、未だ立証されないこの壮大なスケールの宇宙論を軸にしたSF小説に、『チャーリーズ・エンジェル』シリーズで飛ぶ鳥を落とす勢いのドリュー・バリモアを始めとした、数多の新鋭株の俳優達が、こぞって夢中になっていったのだから。。

 

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 皮肉を込めた心理描写(※以下、ネタバレあり)

映画に大事なものは情熱だ。

それは、どんなにCG技術が発達した今日でも変わる事のない監督のメッセージとも言い換えられる。

 

難解極まりない『ドニー・ダーコ』に関して言えば、それは一見謎解きの答え合わせと多元宇宙論(マルチヴァース)という響きがもたらす神秘の力の様にも感じられるけど・・

 

上記した概念を頭の隅に留める事で、この映画の大枠の部分の謎は解明される。

けれど、ケリー青年の思い描く妄想世界=タンジェント・ユニバースの住民は、果たして本当に全てこの方程式に当てはまるのか?

 

精神疾患を抱える息子の死を、心の中のどこかで妄想してしまうドニーの父エディー。
現実とは程遠い程、親身なカウンセリングをするドニーのセラピスト・サーマン。
そして“愛”を説く自己啓発家カニングハムに心酔する体育教師のキティ・ファーマーが、“ボナンザ”の登場人物と間違えた上、グレアム・グリーンの『破壊者』が意図する処の文学的な皮肉を痛烈に非難するが故に、ドニー達は徐々に疲弊していく。。

極めつけは、愛と恐怖に二極化した“感情エクササイズ”をドニー達に強いるファーマーの授業でのシーンと、その彼女の連れてくるカニングハムの説法に、ドニーが真っ向から立ち向かうシーン。

この一連の場面は、中部アメリカに留学していた自分にとって、大いにツボにハマる。

今でも某論客教育評論家が盛んに提唱する、この手の歯の浮くような情操教育は、臆病で蒙昧な群衆を虜にするクリスチャンスクールでは、当時、実際に盛んに持て囃されていた。

 

そして、全米の標準的な学力を数値化するアイオワ基礎テストで散々な成績を残すドニーは、ここで蟠りが生まれる。 

ファーマー等は、“タイムトラベルの哲学”の提唱する“マニュピレイテッド・デッド”ではないにも関わらず。。

 

その結果、“主宇宙”に戻る為の作業の一環として、ドニーは不細工な学園の象徴“野良犬の像”に斧を突き立てる事になるのだけど、この皮肉を込めたリアルな心理描写こそが、現実世界とリンクする若者の怒りだ。

そしてその導き手として登場する“銀色のうさぎ”は、SF的な解釈の担い手や、精神を病んだドニーの妄想と括ってしまうのにはまだ若干早く、量子力学の勃興によって封印されたラプラスの悪魔を具現化したものとしても、解釈する事が出来ないだろうか?
 

 

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 ラプラスの悪魔

・・自分でも何書いてんだか、さっぱり分かんなくなってきたけど・・・

全ての出来事はそれ以前の出来事のみによって決定される」という超自然的概念の世界観がこの悪魔の正体だけど、偏った情操教育に憤怒の炎を燃やす若きケリー監督のこの映画のフレームワークにおいては、それも無理のない設定と言える。

或いは、あまりにネガティブな発想が生み出したこれを、因果や運命なんて言葉で言い換えてしまう事も出来るだろう。


つまり、“銀色のうさぎ”自体は、存在する誰かでも、妄想でも、悪霊でさえもなく、蓄積されてきたダニーの怒りが生み出した、彼の分身でもある。

この監督の秀逸なアイデアに感嘆したサム・ライミ監督が、おせっかいにも自身の出世作でもある『死霊のはらわた』のオープニングショットを無料で提供した様だけど、そのおかげで“銀色のうさぎ”の解釈に、巷で蔓延る都市伝説や陰謀論、或いは悪霊伝説の尾ヒレがついてしまった事だけは、なんとも惜しい。

 

言うまでもなく、映画館でその着ぐるみを脱ぐ“銀色のうさぎ”の中身=フランクとは、現実世界では姉のボーイフレンドの一人に過ぎず、ドニーの友人でさえあろうはずもない

 

やがて、この過去の亡霊に憑りつかれたドニーは、それに告げられる“世界の終わり”=抗えない運命の死に向かっての奇行を続けていくわけだけど・・

 

それなら、ケリー監督がこの映画で描きたかった事は、抗えない世の不条理に巻き込まれ、 惨めな最期を迎える青年の孤独な死に様だけなのか?

 

物語の中盤で死期を悟ったドニーは、劇中でモニトフと神学の矛盾について語り合う。

それはすなわち、今日世界中の多くの人間が信仰する時をも支配する神がもしいるとするのならば、胸から飛びでるジェル状の物質=運命を物理的に見る力を継承したドニーは、その運命に逆らう選択肢もあるという仮説だ。

物理教師の彼は、まっすぐなドニーのこの質問の答えに戸惑うけど、“運命”に翻弄されるままのドニーの表情は、何故だか妙に明るい。

これを、サム・ライミ発の“悪霊”に憑りつかれた顔と割り切ってしまえば簡単だけど、もしこの“接宇宙”自体の存在をドニーが作り出したものとして考えてみると、この映画の風景は少しだけ違って見えてくる。

 

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 奇跡の化学反応

この映画が撮影された2000年は、洋画のちょっとした転換期でもあった。

長澤まさみが東宝シンデレラガールに選ばれ、ようやく日本にシネコンが誕生し始めたこの年から、家族向けの需要に特化した優しい邦画が急増し、それまでの大作洋画ブームは下火になる。

 

つまり、ハリウッド流の大味なブロックバスタームービーが、少々翳りを見せたのだ。

 

そんな折に、大卒間もなく華々しいデビューを飾ったケリー監督は、撮影監督の意向からポスターデザインに扱いのやっかいなアナモルフィックレンズ迄取り入れ、エンディング間際のドニー達が自転車で“死神オババ”の邸宅に向かうシーンでは、出資を手伝ったバリモアに礼を尽くす様に、彼女の出世作『 E.T.』のオマージュを忍ばせる。。

撮影現場では、若手バリバリの頃のジレンホール姉弟のみならず、『GHOST』で一躍脚光を浴びたパトリック・スウェイジに、アカデミー賞常連女優のメアリー・マクドネル、更に『ER緊急救命室』のジョン・カーター等、商業映画デビュー作にしては余りに豪華すぎるキャスト等に囲まれたケリー監督の心労は、察するに余りある。

それなのに、製作陣の反対を押し切ってでも、監督としての妙なプライドが伺えるのが、序盤のドニーの登校シーン。

この、スクールバスから降りてからの学園の日常風景を、PV並みの長回しで捉えるキャメラアングルは、当時としては随分斬新な切り口にも見える。

更にその裏で流れるメロウなサイケポップは、“ティアーズ・フォー・フィアーズ”の「Head Over Heels」という当時のナイーヴなティーンエージャーの心情を切実に歌ったものらしいけど、その楽曲使用料の高さを強く主張する製作陣を説き伏せてでも、監督はこのナンバーに酷くこだわった。

 

・・察するに、、

劇中にも強くインスパイアされている『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と全く同じ路線の、純粋なSF青春ファンタジー映画を撮りたかった監督が、強い商業映画思考のスタッフとの激しいせめぎ合いの末に生まれたのが、この映画なんじゃないだろうか?

 

グレッチェンとドニーとの初めての共同作業でもある“IMG記憶映像装置”は、甘酸っぱい少年の夢をひっそり閉じ込めた結晶だけど、その子供じみた着眼点におもいっきりツッコミを入れられる処も含めて、やけに微笑ましい。

いわゆる、“思考”を具現化したジェル状の物体やドニーを誘うワームホールは、それがどれだけ老害キャメラマンとの葛藤の末に捻りだした単純な視覚効果処理だったとしても、新たなVFX技術の進化に思いを馳せる少年少女の心を、絶妙に擽るインパクトとしては、十分に機能していた。

つまり、“銀色のうさぎ”=戸惑いの象徴に促されるままに、新鋭監督のねらいと豪華俳優陣の芝居が微妙にすれ違うアンサンブルの中で引き起こされたこの奇跡の化学反応こそが、『ドニー・ダーコ』の真の謎の正体だとすれば・・・
 

 

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 選択がもたらす多元宇宙

世界が終わるなら法則などない」と言うセラピスト・サーマンの言葉で、監督の純潔性が憑依したドニーが、もし何らかの希望を見い出していたのなら、一見彼の非業の死にも見えるこの映画の結末は、バッドエンドにはなり得ない。

元々この映画の初期のプロット上にはしっかり記されていた、“接宇宙”は宇宙人によってもたらされたものという説明が映像描写に全く出てこないのも、その為だろう。

つまり、この映画の舞台となるパラレルワールドの存在は、悪魔がかった“銀色のうさぎ”がもたらす、抵抗不可避な運命によって作用しているわけではなく、ドニーがその究極の孤独の狭間で垣間見た、彼自身の生み出すパラダイム・シフトとなる。

パラダイム・シフト
ある時代・集団を支配する考え方が、非連続的・劇的に変化すること。
社会の規範や価値観が変わること。

デジタル大辞泉より抜粋

 

フォークロアな景色の中に埋もれるドニー達の溜り場は、まるで 『ミッドサマー』に出てくるような幻想風景。

パラノイアのわりには、そこで友人やグレッチェン等と楽しそうに語らうダニーの様子に、ふと違和感を感じた人はいないだろうか?

共感力を直向きに信じる文学教師のカレンは、ドニーにグレッチェンを巡り合わせるというよりも、転校生としての彼女には有り得ない程の、その自主性を重んじた。

更に、オタク少年とこの絶世の美少女があまりに出来過ぎなくらいのスピードで結ばれるその瞬間には、必ずと言っていい程、彼女はその心に僅かな瑕を抱えている。

これは孤独を抱え込んだ十代特有の、同調する相手にバイアスを傾けがちな願望以外の何物でもない。

 

ドニーを散々な悪夢に誘う“銀色のうさぎ”も、プロテスタントの広義では“償還・復活・犠牲”といった意味合いを持つ。

 

つまり、ホーキンスの宇宙論に触発された監督は、その指数関数的にインフレーションを続けるマルチヴァースの誕生には、神の叡智をも超える人の強い感情の選択が作用するという仮説を、大胆にもこの映画を通じて投げかけてみたかった様な気がしている。

 

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 フランキーのエピソード

人は孤独を紛らわす為に、パラダイムを生み出した。

それは、宗教であり哲学であり、新発見の化学やイデオロギーでもある。

けれど、その抽象的な何かは、死神オババの台詞通り、全ての生き物が独りきりで死にゆくこの世界で、どれだけの慰めになるんだろう?

 

カルト映画の代名詞『ドニー・ダーコ』は、そんな素朴な疑問にシンプルな答えを示してくれる。

 

監督が仮説を立てた“選択がもたらす多元宇宙”が実在するのなら、量子力学上で提唱されるこの多世界においての相互干渉もまた、この映画の解釈には欠かせない。

www.excite.co.jp

 

モノローグ調に登場する最期のインサート映像には、この“接宇宙”でしこりを残す者達の現実世界の様子が映し出されていく。

危険な兆候の表れていたドニーの様子を、その母のローズに伝えられなかったサーマンは夜中にうなされ、神の矛盾に気付くモニトフもまた、上手く寝付く事ができない。

ペドフィリアの本性を隠し持つカニングハムは不安に泣き崩れ、片目を撃ち抜かれたフランクはその傷跡に触れ、物思いに耽る。。

ラストシーンのカットバックで、どこか落ち着いたような表情で煙草を燻らすローズと、ドニーを知らないはずのグレッチェンが手を振りあうシーンでは、消滅した平行世界のドニーの笑顔が頭を霞め、思わず胸が熱くなっていく。。。

冒頭でドニーの両親達がふと思い出す、彼らの高校時代に死んだフランキーのエピソードは劇中には全く出てこないけれども、もし、この彼もまたドニーと全く同じに、自分の選択で、誰かに降り注ぐはずだった死を回避する為にその身を捧げていたのだとしたら、それは孤独のまま死んでいったわけでは決してないのだろう。

 

万物の孤独な死は、相互干渉する別世界において、誰かを結び付ける役割を果たしているとするのならば、ローズを愛していたのはエディではなくフランキーだったという妄想に迄辿り着けると、自分の漠然とした不安は消え、妙に心が穏やかになる。。。

 

“銀色のうさぎ”に指摘された“人間の着ぐるみ”を着たダニーとは、選択を恐れるが故に、歪んだ時代の潮流に流されるままでいる、自分達自身の事も指摘しているはずだ。

 

そんなドニーが、守護霊の様に気まぐれに出てくる“赤い服の男”よりも、下手糞な“秋の天使”を舞い踊りながらも、彼の死を監視し続ける事しかできない本物の悪魔の様に、その動向に聞き耳を立てているシェリータへ愛情を説く様子は、この映画に潜められた最大の風刺に感じられた。

 

「ドニー・ダーコ」
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