マリブのブログ

ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ

映画『ラストレター』の私的な感想―未咲と鏡史郎はなぜ別れたのか?―(ネタバレあり)

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Last Letter/2020(日本)/121分
監督/脚本:岩井 俊二
出演:福山 雅治、松 たか子、広瀬 すず、庵野 秀明、森 七菜、小室 等、豊川 悦司、中山 美穂

 答辞に込められた想い

久しぶりに観た岩井俊二の新作は、正直かなりヤバかった。

それは、感傷的な十代の頃憧れていた紗のかかった映像がすっかり影を潜め、あからさまなこっぱずかしい台詞が、劇中に溢れてるから。。

 

福山雅治、松たか子、広瀬すずに加え、『最初の晩餐』以来、すっかりその演技に釘付けにされてしまう森七菜と、主役級の俳優達がずらりと揃った群像劇は、意外にもスムーズな構成力で、そんなに目移りはしない。

だけど、『LoveLetter』から実に四半世紀ぶりに岩井組に復活したトヨエツとミポリンからは、かつて纏っていた強烈なオーラがすっかり削げ落ちてしまい、そのいじらしい演技を観ていると、どうしても現実を叩きつけらた時のような、ため息が漏れてきてしまう。。

 

アラフォー世代は、岩井映画と一緒に青春を過ごしてきたと言っても、過言ではない。

その浮遊感、透明度、或いは胸を締め付けられるような強烈な痛みであっても、それを拭い去る程の色彩美と絶妙な少女達の笑顔が、妄想世界に浸る淡い思い出を、否が応でも盛り上げてくれる。

幼少期の独特の刹那を鮮明に描き、一気に岩井俊二の名をスターダムに押し上げた『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』では、その物理的な距離感と甘酸っぱい恋心の芽生えを。

スワロウテイル』では、愛し合う恋人同士の感情と反比例する、その栄光と挫折の日々を。

そんな、これまで岩井俊二が貫いてきたものは、言葉で語らず、すれ違いの感情から生まれる美学だったと、勝手に信じ込んでいたのだけど、、、

 

福山じゃなきゃ、ただのストーカー映画にしか見えないよね。。」と、心をバッサリ切ってくるツレの一言でやっと我に返ってみたが、どうやら自分もいつの間にかすっかり大人になって、ネット社会の副産物に毒され始めているのかもしれない。。

屈託のない森七菜と、陰のある広瀬すず。

この二人の少女のコントラストは、『花とアリス』の頃よりも更に洗練され、岩井映画のナイーヴさを格段に広げてくれるけど、現代を生きる娘とその母親役を、同年代の設定で見事に演じ分け、二人のテンションの違う声が重なり合うように、答辞を読み上げていくその広瀬すずの声色からは、何故か少しだけ奇妙な違和感を感じる。

何時になく、その行間から迸る漠然とした寂しさは、劇中の淡いラブストーリーの結晶として解釈するだけで、本当に充分だったのだろうか?

あまりに寂寥感の漂うその逢えなくなる人達へのメッセージには、岩井組では滅多にお目にかかる事のないドローン撮影まで取り入れて、震災からの復興を果たした仙台の街並みの景色が、自然に脳内でオーバーラップしてくる。。

 

 

 

 

あらすじ

裕里(松たか子)の姉の未咲が、亡くなった。
裕里は葬儀の場で、未咲の面影を残す娘の鮎美(広瀬すず)から、未咲宛ての同窓会の案内と、未咲が鮎美に残した手紙の存在を告げられる。
未咲の死を知らせるために行った同窓会で、学校のヒロインだった姉と勘違いされてしまう裕里。
そしてその場で、初恋の相手・鏡史郎(福山雅治)と再会することに。
勘違いから始まった、裕里と鏡史郎の不思議な文通。
裕里は、未咲のふりをして、手紙を書き続ける。
その内のひとつの手紙が鮎美に届いてしまったことで、鮎美は鏡史郎(回想・神木隆之介)と未咲(回想・広瀬すず)、そして裕里(回想・森七菜)の学生時代の淡い初恋の思い出を辿りだす。
ひょんなことから彼らを繋いだ手紙は、未咲の死の真相、そして過去と現在、心に蓋をしてきたそれぞれの初恋の想いを、時を超えて動かしていく―――
Filmarksより引用

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 直球の告白に秘めたメッセージ

映画を観る前には、先入観を持たない為にも、その作品の原作はなるべく読まないようにしている。

まあ、実はそれもハッタリで、心が乾き始めた現実生活の中で、“文学”の筆致に寄り添う集中力と余裕が、すっかり萎えてきてしまっていると言った方が正確だろう。

 

25年間、君にまだずっと恋をしているって言ったら、信じますか?

福山が演じる売れない小説家鏡史郎が、22年前の『四月物語』の純情を経て、すっかり山崎パンのCMよろしく幸せ家族の母に溶け込んだ松たか子へと、突然打ち明けるそのラインの内容は酷く直球だ。

そしてその台詞を、額面通り真に受けて捉えてしまえば、それは世間の大部分の若者がそう感じる様に、ストーカーチックな少し不気味な印象を覚える。

 

十代への憧憬を色濃く残す岩井映画を、男の変わらぬ願望としてこよなく愛してきた自分でも、正直、このあまりにどストレートな告白は、ちょっとキツイ。

式日』への出演の返礼として、劇中の漫画家夫を演じる庵野秀明監督でなくても、そんなラインをひっそり受け取っても飄々としてる妻へ、きっと、ちょっとだけ意地悪な仕打ちをしてみたくなってしまうだろう。

そしてお馴染みの、岩井ワールド全開の淡い文通模様の情景映像が流れ始めれば、あまりに滑稽で、苦笑いしてしまいそうになるトコロだけど、、、

 

未咲への恋心を抑えきれない鏡史郎と、その彼への恋心が抑えきれない妹裕里。

互いに勝手気ままに、自分の想いばかり独白する二人の手紙のやりとりは、突然止まる。

それは『LoveLetter』の時の様に、現実世界に引き戻されるからではなく、不意に登場した六文銭のリーダー小室等の存在で。。

この、裕里の義母と、彼女が憧れる老年の英語教師との手紙のやりとりは、すっかり廃れてしまった文通文化の温もりを、伝える為のファクターなのかと思いきや。。。

その風貌は、まるで往年の夏目漱石の姿にそっくり。。。。

更に職業の類似だけに留まらず、姿形までしっかり寄せてきた監督の思惑に気付いた時、この映画の彼のテーマが、少しだけ見えてきた気がした。
 

智ちに働けば角かどが立つ。情じょうに棹さおさせば流される。
意地を通とおせば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
夏目漱石全集3巻「草枕」より抜粋


煩わしい俗世間を憂い、非人情美学を追求してみせたという漱石のこの俳句的な小説は、情緒を失いかけた今の自分には、さっぱりその詩情がうまく伝わらない。。

けれど、これをわざわざ、劇中の青年期の未咲と鏡史郎とを結ぶマクガフィンとしても機能させている辺りから、岩井俊二は、額面通りの言葉の裏に潜むものを、敢えて映像で表す挑戦をし始めたような気も・・・

そう考えると、これまでの浮遊感の漂う映像をめっきり減らし、歯の浮くような台詞を並べる俳優達の描写にも、なんだか奥ゆかしいものが感じられる。

つまり、ちょっと身勝手過ぎる鏡史郎の告白に聴こえたその一文は、岩井俊二の故郷仙台に漂う、被災者遺族の悠久の声の代弁だったのかもしれない。。
 

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 鏡史郎と未咲は何故別れたのか?(※以下、ネタバレあり)

人の心に残り続ければ、その相手は生きているのと変わらないと思う

と言う裕里の台詞は、正しく、家族を失った遺族の))(よどみを表した、その代表例だろう。

 

多少古典的ながら、劇中を埋め尽くすノスタルジー感も、淡い走馬灯の様に消えゆく恋模様の風景も、場合によっては、焦燥感を滲ませるトヨエツとミポリンの芝居にでさえも、健気に生き延びた被災者の現実を映し出すメタファが添えられていたのだとすると、その印象もまるで違って見えてくる。

 

打ち上げ花火』を彷彿とさせる未咲と裕里の娘、鮎美と颯香が花火をする学校のプールには、25年前の印象的なワンシーンとは実に対照的に、水が張られていない。。

 

この意図的なセルフオマージュを、監督の遊び心として観るにはあまりにもったいなく、じんわりと胸に染みこんでくるような感覚があった。

 

それでも、純文学に回顧し始めた彼にしては、少々説明不足なシーンもある。

その王道は、まるで止まっていた時が動き出すかの様に、時計の秒針が部屋に鳴り響く和室で、鏡史郎がいよいよ未咲の遺影と向かい合うシーン。

この客観的に観れば、必ず涙を誘うはずの描写に、二人の悲恋の経緯を全く語らせない監督の思惑とは、一体なんだったのだろうか?

 

鏡史郎が小説家を目指し始めたのは、淡い思い出の中の未咲の言葉からだ。

そうして、自己の開花に目覚める彼は、未咲が残してくれた文学の残り香を通じ、小説家という芸術世界にのめり込もうとするが、、

 

鏡史郎が唯一世に残す事のできた、“未咲”という名の恋愛小説の中身は、鮎美の口を通じて語られる冒頭部分しか知らされない。

けれど、彼女の父でもある阿藤の台詞を借りれば、それは“一人称”の独りよがりであって、未咲と鮎美を勇気づける事は出来ていたとしても、きっと純文学からは程遠い代物だったのではないだろうか?

ここで漱石の“草枕”の紹介文を引用すると、、

 

日露戦争のころ、30歳の洋画家である主人公が、山中の温泉宿に宿泊する。やがて宿の「若い奥様」の那美と知り合う。出戻りの彼女は、彼に「茫然たる事多時」と思わせる反面、「今まで見た女のうちでもっともうつくしい所作をする女」でもあった。そんな「非人情」な那美から、主人公は自分の画を描いてほしいと頼まれる。しかし、彼は彼女には「足りないところがある」と描かなかった。ある日、彼は那美と一緒に彼女の従兄弟(いとこ)で、再度満州の戦線へと徴集された久一の出発を見送りに駅まで行く。その時、ホームで偶然に「野武士」のような容貌をした、満州行きの為の「御金を(彼女に)貰いに来た」別れた夫と、那美は発車する汽車の窓ごしに瞬間見つめあった。そのとき那美の顔に浮かんだ「憐れ」を横で主人公はみてとり、感じて、「それだ、それだ、それが出れば画になりますよ」と「那美さんの肩を叩きながら小声に云う」という筋を背景に、漱石の芸術論を主人公の長い独白として織り交ぜながら、「久一」や「野武士(別れた夫)」の描写をとおして、戦死者が激増する現実、戦争のもたらすメリット、その様な戦争を生み出す西欧文化、それに対して、夏にまで鳴く山村の鶯(ウグイス)、田舎の人々との他愛のない会話などをとおして、東洋の芸術や文学について論じ漱石の感じる西欧化の波間の中の日本人がつづられている。
Wikipedia「草枕」のあらすじより抜粋

 

ちょっと、こじつけだけど、、

この小説の中の画工を鏡史郎とし、那美を未咲野武士を阿藤と抽象的にそれぞれを仮定すれば、“憐れ”の境地に向かおうとする未咲に対して、主観的な想いを止めどなく綴り続けていた画工=鏡史郎は、出世間的))(しゅっせけんてきな“非人情”の見地には、未だ至っていない。

それは、彼が廃校となった母校の校舎で、鮎美を未咲の幻影としてしか捉えられていない描写にも、或いは、“憐れ”の象徴的な中山美穂が演じるカナエの背中にさえも、未咲の面影を全く感じ取る事が出来ていない場面によって、実はしっかりと表されている。

 

つまり、その道半ばで文学を模索している鏡史郎は、未咲の幻影の姿しか見ていなかったのだろう。

・・そして、漱石の文学に傾倒していた未咲が、鏡史郎を本物の文豪として出世させる為に、自らが“憐れ”身を纏う必要がある事を漠然と意識していたのだとすれば・・・

 

彼女のその自己犠牲の精神と愛情深さには、余りにせつないラブストーリーが潜んでいそうだけど、実は、その画工の視点をもう一人の主役裕里に置き換えた時、その淡い恋心の象徴である鏡史郎は、“憐れ”さをすっかり宿した思い出の風景の一部として、きちんと存在している。

そして、まるで画工が画に出来る喜びを露わにするかの様に、全く無邪気に自然と、恋焦がれていた先輩との握手を交わして・・

 

つまりこの皮肉は、超然と被災地に漂う永遠に片思いをし続ける遺族の愁いを通じて、“非人情”を考察する芸術映画へと昇華する過渡期の、岩井文学の集大成なのかも。。。

 

劇中の後半、酷く間を置いた人物描写に、クラシカルなピアノの音色が入るのもその為で、“自然”と共鳴し合う“非人情”の摂理が、森七菜の謳うエンディングソング「カエルノウタ」にも、どこか漠然と充満しているような気さえしている。

  

 

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 岩井俊二からのラストレター

LoveLetter』のアンサー映画という定番の触れ込みをかなり逸脱して、巧みに台詞の裏に潜む文学を映像に取り込んでみせた岩井俊二のこの力作に絶賛の票を上げる一方で、結局、ネットで様々な情報を引き出せる現代では、この手の古典的な琴線に触れるような感覚は滅多にない。


現に、これ程の異彩を放ってくれたこの映画の初日にでさえ、若い観客の姿をあまり見る事が出来なかった時には、酷く寂しいキモチで、気分が大分滅入ってきてしまった。

テレビには相変わらず、集中力を途切れさせる早いカット割りの定番医療ドラマが氾濫し続ける現状で、感情をゆっくり手探りで見つけ出す岩井映画が、年代差を超えて、少しでも浸透していく事を、一ファンとしては切に願いたい。

なので今回は、劇中に流れる答辞=岩井俊二からのラストレターの全文を、関係者の方から拝借した台本より抜粋して、綴ってみたい。

ご迷惑を十二分に考慮した上でも、劇場に足を運んでくださった方々が、その文節の背後に秘められた真意を、もう一度咀嚼する為の参考資料として。

本日私達は、卒業の日を迎えました。
高校時代は、私達にとって、恐らく生涯忘れ難い、かけがえのない思い出になる事でしょう。
将来の夢は、目標はと問われたら、私自身まだ何も浮かびません。
でもそれで良いと思います。
私たちの未来には、無限の可能性があり、数えきれない程の人生の選択肢があると思います。
ここにいる卒業生一人一人が、今までも、そしてこれからも、他の誰とも違う人生を歩むのです。
夢を叶える人もいるでしょう。叶えきれない人もいるでしょう。
辛い事があった時、生きているのが苦しくなった時、きっと私達は幾度もこの場所を思い出すのでしょう。
自分の夢や可能性が、まだ無限に思えたこの場所を。
お互いが等しく、尊く、輝いていたこの場所を。

 

尚、著者があまりに不勉強の為、記事の更新に大分手間取ってしまったお詫びと共に、阪神淡路大震災の発生した1月17日に合わせ、この映画を全国劇場公開してくれた関係者の方々の見えない努力と愛情に、敬服して御礼申し上げます。

 

「ラストレター」の上映スケジュールはコチラから確認できます。
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