マリブのブログ

ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ

映画『AI崩壊』の私的な感想―人工知能は悩む人間に手を差し伸べられるのか?―

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AI崩壊/2020(日本)/131分
監督/脚本:入江 悠
主演:大沢 たかお、賀来 賢人、広瀬 アリス、岩田 剛典、髙嶋 政宏、余 貴美子、松嶋 菜々子、三浦 友和

 悪意のないSF映画

悪意のないSF映画を作るのは、結構大変だ。

和製『マイノリティ・リポート』との謗りも多かった割には、この映画は結構鋭く日本人の歪な感覚をついてくる。

 

AIの暴走なんてテーマは、ハリウッド映画では随分使い古されてきた。

古くは『2001年宇宙の旅』に始まり、『トランセンデンス』や『A.I.』、『アイ,ロボット』等と、上げたらきりがないくらい、その既視感の強い設定は多い。

倫理観と宗教矛盾を描いた『パッセンジャー』や、ロボットとの禁断の恋愛模様を描いた『エクス・マキナ』等の少々異色作な作品はあっても、大抵そのストーリーの大筋は、謎解きミステリーが殆ど。

そして大概その全ての元凶は、人の狂気が引き起こす事件から始まるが。。

これで自分達は、いつの間にかこの手の映画に、

「誰が真犯人なのか?」

とか、

「何故、“AI”が暴走したのか?」

というスリリングな展開を自然と求めてしまうけど、『ビジランテ』以降、ピカレスク・ロマンを追い求める入江悠監督には、この小手先のテクニックを求めるのはちょっと無粋かもしれない。

 

奇しくも、イギリスがEUから離脱し、世界が自らの殻に閉じこもっていく潮流の最中に公開されたこの映画は、見終わった後に、どこか内側思考な自分達の近未来予想図を、じっくりと考えさせられてしまう。。 

 

 

 

 

あらすじ
2030年。
人々の生活を支える医療AI「のぞみ」の開発者である桐生浩介(大沢たかお)は、その功績が認められ娘と共に久々に日本に帰国する。
英雄のような扱いを受ける桐生だったが、突如のぞみが暴走を開始――人間の生きる価値を合理的に選別し、殺戮を始める。
警察庁の天才捜査官・桜庭(岩田剛典)は、AIを暴走させたテロリストを開発者である桐生と断定。
日本中に張り巡らされたAI監視網で、逃亡者・桐生を追い詰める。
桐生が開発したAIを管理していたのは、桐生の亡き妻でありAI共同開発者の望(松嶋菜々子)の弟、西村(賀来賢人)。
事件の鍵を握る西村も奔走する一方で、所轄のベテラン刑事・合田(三浦友和)と捜査一課の新米刑事・奥瀬(広瀬アリス)は足を使った捜査で桐生に迫る。
日本中がパニックに陥る中、桐生の決死の逃亡の果てに待っているものとは?一体、なぜAIは暴走したのか?
止まらないAI社会の崩壊は、衝撃の結末へ――。
Filmarksより引用

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 “AI”が人を超える日

膨大なリサーチの上で、監督自身がオリジナルで書き上げたこの作品は、ゆうに20稿にも及ぶ手直しが行われたと聴くが、彼の伝説的な自主映画『SR サイタマノラッパー』以来のスピーディーなカメラワークは健在。

欲を言えば、もうちょっと見せ場の欲しかった豪華キャスト陣の名演には目もくれず、セオリー通りに始まるミステリーは、少しアナログな雰囲気が目立つ。

つまり、この手の映画で見せ場の筈の凝ったCG処理や近未来感は驚くほど少なく、『逃亡者』のリチャード・キンブルばりのオーソドックスな逃走劇は、流石に古い映画の焼き増しのようだ。

やがて、一見人工知能の暴走によって引き起こされた怪事件の真相を追う主人公の姿は、どこか一心不乱な熱意を帯びる監督の姿とも重なるが。。

 

コンサバ女性記者役がバッチリハマっていたMEGUMI、『検察側の罪人』で癖のある演技を披露してくれた酒向芳演じる副首相等には、オフショットの様な会話劇しか与えず、理想的な未来の日本女性首相役の余貴美子迄をも、ワンシーンであっさり退場させてしまった時には、かなりびっくりした。

やがて物語は、近未来に必ず起こるであろうディストピアで、“人類選別”の憂き目にあう人間達の戸惑いに直面するが、そうしたものの裏にある人の悪意の描き方は、随分簡素化されている印象を受ける。

 

つまり、自分達がすっかり植え付けられたこの手の映画に対するイメージは、きっと監督の中で、どうでもいい事だったのだろう。

 

それでいて、サスペンス色を緩やかにフェードアウトさせていくテクニックは、中々に上手い。

三浦友和等が演じるオールドタイプな警察とのやりとりは、その緊迫感を殆ど遜色させる事なく、いつの間にか観察眼の相違へとシフトチェンジしてゆき、息苦しい現代の監視カメラ社会がいつか引き起こすであろう痛烈な皮肉をも、しっかりと突いてくる。

 

そんな中でとりわけ際立っていたのは、自身初の本格的な悪役に挑戦したであろうEXILE岩田剛典が、映画の終盤で、スクリーン越しにカメラ目線で語り掛けるシーン。

その、真正面に観客を見据えた彼の独白は、もう映画の枠を超える、ある種のプロパガンダと言ってしまった方が近いかもしれない。。

 

それでも、どこか監督の優しい想いを感じ取る事が出来たのは、松嶋菜々子の声だった。

彼女が演じる天才科学者の亡妻は、言ってしまえば“AI”の源。

そのマチエールをそのまま“AI”の丸みを帯びたシルエットに反映し、彼女のスキャンカメラがその娘の姿を追う姿は、しっかりと管理社会の恐怖を見せておきながらも、どこか無機質なマシンへの愛着をも、視覚的に湧き上がらせてくる。

 

やがて監督が少々大袈裟にも、遅咲きの新人事、毎熊克哉扮する左派寄りな雑誌記者によって、“AI”の理想概念をどストレートにぶつけられる大沢たかおのシーンを見て、自分の視座ははっきりと固まった。

つまり、『殺人の告白』のリメイク版や『ギャングース』等で、すっかりサスペンス映画界の新星に祀り上げられた入江監督は、それを逆に利用し、きたるべきシンギュラリティ(技術的特異点)に向けて、瀬戸際に追い詰められるであろう人類の選択を、自分なりに提唱してみたかったのだろう。

 

技術的特異点は、汎用人工知能、あるいは「強い人工知能」や人間の知能増幅が可能となったときに起こるとされている出来事であり、ひとたび自律的に作動する優れた機械的知性が創造されると、再帰的に機械的知性のバージョンアップが繰り返され、人間の想像力がおよばないほどに優秀な知性(スーパーインテリジェンス)が誕生するという仮説である。
Wikipediaより抜粋

 

アメリカの実業家レイ・カーツワイルが提唱するこの説は、少々そのSFチックな言葉だけが独り歩きしてしまっている感はあるが、その解釈を幾分歪曲されている事を省いたとしても、人工知能が人間の知性を超す日は、そんなに遠くなく、いつか必ずやってくるだろう。

そんな来たるべき日に向けて、監督が自身のキャリアに少々難癖をつけられたとしても、声高に叫びたかった事は何だったのか?

  

 

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 悩む人間の幸福論

話はちょっと脱線するけど、、

 

この映画を観に行った帰りの地下鉄で、ふと辺りを見渡してみた。

空席無くびっちりと座席に座る乗客の姿は、それまでの自分と全く同じように、全員スマホ画面に釘付けで、新型コロナウィルスからの予防の為装着したマスク姿とも併せ、ちょっと異様な光景の様にも見えてきてしまった。

 

・・それはまるで、電子機械の洗脳を受けるSF映画の国民の姿の様に。。

 

つまり、アウトプットする事を忘れ、この流れる情報社会に身を委ね続ける今に異論を呈する事が、監督の真のねらいだとすれば、妙に映画に寓話的要素が少なかった事や、現実に近い設定の近未来の様子も、少し納得ができる。

 

1950年に、ノーベル文学賞を受賞したイギリスの数学者バートランド・ラッセルは、その晩年の著書『人生についての断章』で、以下の様なエッセイを綴っている。

 

「最悪なのは、あらゆる人間を分類して(仕分けして)明瞭なレッテル(ラベル)を貼ること(行為)である。この不幸な習性の持主は、自分が相手に適切だと思うタグ(札)を貼りつける時に、その相手について(タグをはりつけるに足る)完全な知識をもっていると考える。
バートランド・ラッセル/『人生についての断章』第一章より抜粋

 
これは、正しく“AI”をテーマにした映画の根本的な問題点であると共に、自分達が映画鑑賞する際にすっかり刷り込まれたその既成概念とも、実はバッチリ当てはまる。

劇中で“責任”という少々生々しいフレーズを、無機質なAIへの対義語としてぶつけたのも、その為だ。

このパワーワードの影にひっそりと添えられた、悩む人間の原点にこそ、あらゆる事象に既視感を覚える自分達への、監督なりのメッセージだったのかもしれない。

 

親が子を幸せにできるか?

という究極の質問を問いかけた今回の入江作品からは、そんな温もりを帯びつつも、常に躊躇する事が出来るはずの人の幸福論が、随所から迸っていた。

 

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