マリブのブログ

ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ

映画『そうして私たちはプールに金魚を、』の私的な感想―偶然にも最悪な少女―

And so we put goldfish in the pool.01

And so we put goldfish in the pool./2017(日本)/27分
監督/脚本:長久 允
出演:湯川 ひな、松山 莉奈、西本 まりん、菊地 玲那

 少女達の衝動

自虐映画には結構面白いものもある。

人のいい道産子や開放的なウチナーンチュ、或いは、頑固でサバけた高知県民や気位の高い京都人等、日本人の県民性には、その土地の歴史や文化に根付いた傾向が結構色濃く残されていたりする。

そんな中、『翔んで埼玉』にも代表される様に、自虐ネタの宝庫とでも言うべき埼玉を舞台にした映画が、問題意識の強い作品ばかりがノミネートするサンダンスの映画祭で邦画として初のショートフィルム部門のグランプリを受賞したなんてニュースを聴いてちょっとびっくり。

日本でならまだしも、海外でこの手の身内ネタがどこまで通用したのかと思いきや、、

僅か27分とかなり短い尺の間で、あまりにも見事に主張を完結させた長久允監督は、もはや和製スパイク・ジョーンズとでも言うべきか?

 

更にクリエイターとしての、目の付け所もかなり素晴らしい。

金魚と一緒に泳ぎたかった

なんて嘯く女子中学生が、2012年埼玉県狭山市で実際に学校のプールに400匹の金魚を放流して書類送検された実際のニュースなんて、どう考えても重たい話題では全くないのだが、ここに地方都市が患う陰翳の正体をきっちりと見つけだしてくれた。

そのリズミカルでテンポのいいPVチックな作風のこのショートドラマで、一見意味不明にも思える少女達の衝動の裏に秘むものとは何だったのか? 

 



 

 

 

あらすじ
2012年の夏、埼玉県狭山市にある中学校のプールに400匹の金魚が放たれた。
犯人は4人の女子中学生。
「キレイだと思って」と供述した4人の15歳の少女たちがプールに金魚を放った本当の理由とは・・・!?
Filmarksより引用

And so we put goldfish in the poo.02

 ひりついた痛み

ちょっと昔に、CMディレクターのグ・スーヨンが『偶然にも最悪な少年』という映画を撮った事があった。

市原隼人や中島美嘉に加えて、蒼井優や佐藤江梨子、更には余貴美子や永瀬正敏のような技巧派俳優まで集めて、闇を抱えた在日韓国人の群像劇を扱った青春ドラマだったが、この映画は大コケ。。

つまりトレンドの若者ポップカルチャー的映画は、そのストーリーに一定数以上の親近感が湧かないと、日本ではヒットする事はできない。

 

この作品の監督、長久允氏も、グ・スーヨンと同じCM畑出身の監督のようだが、その着眼点は極めて鋭い。

劇中の少女達の台詞通り、山も海も風光明媚な建物も一切ない狭山市を舞台にしたこの映画は、映画やバラエティーの撮影なんかで世話になった関係者でもない限り、立ち寄る事もないあまりに寂れた街だ。

 

しかしこの街では、63年に狭山事件と呼ばれる一つの大きな歴史的冤罪事件が存在する。

その詳細はここでは割愛するが、原因となった警察の怠慢と人の差別意識を半世紀ぶりに蘇らせてくれたその着眼点は、ただのコメディ映画の枠を超えた監督の相応の問題意識の高さがまずは伺えてくる。

そこに「誰もいない海」「ポジティブこわい」「ゾンビ」「THEありふれてる」「恋とソフトクリーム」「未来」「祭」「I can't live in 狭山」なんてポップでキャッチーなネーミングで8つのチャプターに隔てた構成も、ちょっと見方を変えれば、集中力を持続できない若者へのちょっとしたリップサービスなのかもしれない。

このそれぞれのテーマを端的に纏め上げる才能は現代風だが、きっちり伝わる。

そしてこれを斜に構えながらも開き直って叫んでみせる演出こそが、海外市場でも広く受け入れられた所以だろうが、それを全くのナチュラルで無名な新人女優達だけでトレースしてみせた監督には、思わず感嘆のため息が漏れてしまう。

主人公のあかねが少々視聴者を食ったようなカメラ目線の台詞からも、奇を衒ったあざとさは微塵も感じられず、そればかりか、そんな説明台詞を吐き出す少女の背中から漂う何とも言えない柑橘系の哀愁。。

 

そして何よりもスゴイのは、MV顔負けの、劇中に溢れる音の洪水だ。

 

前述したチャプターのタイトルにも使用されているテクノアレンジ化された南沙織の「17才」から始まり、グラムロックを彷彿とさせるギターソロやドラムの音色、70年代の退廃感満載な「バージン・ブルース」を現代風にアレンジしたミックス等を効果的に劇中に絡め、その音楽とコトバ、或いは視覚と聴覚とを連動させてくる巧みな技術のおかげで、寂れた街の少女達の気だるさを否が応にも高ぶらせてくる。

 

長々と駄文を書いてきてしまったが、この映画にパワーワードのようなクリシェは一切いらない。

劇中の女子中学生達が自分達をディスるコトバはいちいち正確で、その節々からは法悦にひたる純文学を読み終わった後の様な、ひりついた痛みが感じ取れる。

 

令和版の『ラブ&ポップ』のような彼女達の退屈な日々の中で、何かを起こす衝動に駆られプールに放つ金魚は、劇中で紹介されるサブタイ通りの「君はここから出られないのだ、夏!」なんて完全に自分達のメタファなのだけど、ちょっと字余りなので、ここは敢えてグ・スーヨンを遥かに凌いだその力量に敬意を表して、ウチの紹介タイトルにそれを引用させてもらうことにする。

 

「そうして私たちはプールに金魚を、」
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