Tully/2018(アメリカ)/95分
監督:ジェイソン・ライトマン
主演:シャーリーズ・セロン/マッケンジー・デイヴィス、マーク・デュプラス
女の現実から目を背ける男へ・・
男はこの手の邦題をつけられると何だか無性にこっぱずかしくなってくる。
“タリーと私”までならなんとか・・ でも“秘密”というワードが添えられた瞬間から、その映画に甘い飽和感が漂い始め、やけに背中がむず痒い。
「久しぶりの休みにようやく映画館にでも・・」
なんて軽い気持ちで街に繰り出したはいいが、『検察側の罪人』の予想を遥かに超えた醜悪な仕上がりに酷く落胆してしまった自分が気もそぞろに帰路に着こうとしていると、目の前にシャーリーズ・セロンのポスターが立ち塞がった。
その瞳はいつにも増して重く虚ろで、まるで自分を写し出す鏡の様。。
それでも変幻自在の突飛した表現力を誇る彼女がここまで自分を追い詰めているのなら、「きっと、何かあるな・・」と急に興味を惹かれてチケットを衝動買い。
劇場へと上がるシャンテのエレベーター内には、案の定アラフィフ世代の女性しか乗っておらず、場違いな空気を肌でヒシヒシと感じながらも敢えて悠然と席に着く。
前の席の方に迷惑をかけない程度に、映画評論家よろしく短い足を組み『ゴッドファーザー』のマイケル気取りで観賞を始めたのだけれど、、
気が付くとぐいぐい映像に引き込まれていく。。。
それは18キロの増量までしてこの作品の撮影に挑んだシャーリーズ・セロンからの熱量だけでなく、、
子育てにやつれながらも、必死に生活を続ける主人公の直向きさと女の儚さ。
劇中、妻を口先だけで気遣いながらも、ベッドルームでゾンビゲームにハマっている夫を観ていると、どうも他人事の様には思えない気がし始めて妙に胸が苦しくなる。
「・・ああ、こうして男は、女の現実をちっとも直視してこなかったんだなぁ・・・」
なんて妙に心寂しくなり、疲弊した元妻の寝顔が脳裏をかすめる。
「わたし、ひとに頼れないの」ーー仕事に家事に育児と、何事も完璧にこなしてきたマーロは、3⼈⽬の⼦供が⽣まれて、ついに⼼が折れてしまう。そんな彼⼥のもとに夜だけのベビーシッターとしてタリーがやってくる。彼⼥はタメグチのイマドキ⼥⼦なのに仕事は完璧。マーロの悩みも聞き、⾒事に解決してくれる。⾃由奔放なタリーと不思議な絆を深めていくうちに、マーロも本来の輝きを取り戻していくのだが、タリーは何があっても夜開け前に姿を消し、⾃分の⾝の上は決して語らないのだったーー
Filmarksより
強く儚い女に男が出来るコトは・・
ロン・リビングストン演じるマーロの夫・ドリューには、映画にありがちな嘘は全くない。
彼はアイオワ生まれの少々垢抜けない容姿の俳優だが、ドリューは横暴なわけでも冷酷なわけでもなく、ちょっと鈍感なだけで妻を純粋に愛し続けている普通の夫。
マーロもそれに不満があるわけでもなく、健気に家事と育児を熟し続ける。
しかしこの平凡な夫婦生活にこそ、落とし穴が。
自分の実体験から顧みると、何時からか男は妻を女ではなく母と認知するようになる。
性生活がおざなりになっていくのも、女に飽きたのではなく、彼女への思いが尊敬へと変化していってしまうから。
やがてそんな彼女に近づこうと、或いは母を気遣う息子の様に彼女の苦労をねぎらおうと、仕事に精を出し始める。
それは、言ってしまえば、男にはそれぐらいの事しか出来ないからだ。
この作品の脚本を務めるディアブロ・コーディは少々異例のキャリアの持ち主で、元々ブロガーだった彼女はアラサーが近づき始めた頃からミネアポリスでストリッパーを始める。
そんな折、彼女のブログが偶然ネットサーフィンをしていた映画プロデューサーの目に留まり、初の脚本執筆業で2007年度のアカデミー賞脚本賞を受賞。
シンデレラガールの代名詞そのままに脚本家デビューを果たした彼女の処女作『JUNO/ジュノ』はまだ未見だが、きっとこの作品と同じように自立していく女の儚さを優しくきちんと表現しているんだろう。
彼女が捉え続ける女の心の機微は、凛と立とうとする女性の背中をそっと支える。
マッケンジー・デイヴィス演じる夜中にマーロの家を訪れるベビーシッター・タリーは正にその象徴でありながら、自分に折り合いをつけていくその彼女自身の分身。
タリーの存在により次第に生気を取り戻していくマーロが、カラオケでカーリー・レイ・ジェプセンの「Call Me Maybe」を娘と一緒に歌う姿は、若き日にまだ無鉄砲だった彼女の生き方そのままにあまりに愛おしい。
テセウスの船の暗喩と息子のコトバ(※以下、ネタバレあり)
この映画を見ても、日常に疲弊しきった女性にとっては、きっとその歯がゆい現実からの出口は見つけられないだろう。
それは、結局マーロが自分自身でやつれてゆき、自分自身で幻想を作り出し、自分自身で立ち直ってゆくからだ。
それはつまり、自分に圧倒的な自信のある女にしか出来ない芸当の様だが、そこでブルックリンのバーでタリーがマーロに送った台詞を思い出してほしい。
「木造船の板を毎年一枚づつ替えていくと、最後には元の船の板はなくなり、全部新しくなる。その船は元と同じ?それとも新しい船?」
これはテセウスの船というギリシャ神話にヒントを得た哲学的な問題なのだけど、彼女はここに衰えていく女の肉体的な性と変わる事のない乙女心を暗喩している。
ちょっと小難しい屁理屈の様にも聴こえるこの手の台詞は、漠然と夢を描いていた少女時代のあのピュアで力がみなぎっていた頃の自分を取り戻す為のメッセージ。
ラストに知的障害を抱える息子がマーロからの意味のないブラッシングを拒否する描写なんかも、そんな夢を見るコトも忘れてしまって、自分自身を失いかけている女性たちに対する愛情をたっぷり込めたイディオムでもある。
つまり万人の女性は、誰かに愛されているだけで、とてつもなく尊いのだ。
そんな風に、いつの間にか自分の手の届かない範疇にいきなり飛び超えていってしまう女性たちの強さを知ってしまうと、不器用な男はつい両手を挙げてほっぽりだしたくなってしまう。。
プロデューサー陣の中にシャーリーズ・セロン自身が名を連ねている事からも彼女自身の強い意気込みが感じ取れるこの作品は、全世界の疲れた女性に向けたアスピリンなのだけれど、ここまで女たちが自己治癒能力を高められてしまったら、やっぱり男はドリューの様に一緒にiPadを聴くことくらいしか、きっともうできないよ・・・。
『タリーと私の秘密の時間』は
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