マリブのブログ

ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ

ABCテレビ『幸色のワンルーム』放送中止を受けて―瑕を持つ人たちをどうか、見捨てないでほしい―

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 ドラマ『幸色のワンルーム』関東圏放送中止の決定を受けて 

ワールドカップの熱が冷めやらぬ今日この頃。。

知り合いの脚本家からこの『幸色のワンルーム』というドラマが、関東圏では放送中止
になった事実を聴かされ、言い様のないジレンマを感じてしまいました。

題材となったこの少女誘拐犯の肯定のつもりはありませんが、似たようなシチュエーションでトラウマを抱える方は以下の記事の観覧にご注意ください。

 

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 放送を自粛したテレ朝の忖度 

『万引き家族』の上映でようやく世間が目を向け始めた時勢のうねりが再び世論の声に揉み消されてしまった。

上辺を取り繕う社会の裏で歪んでいく人間関係の実態に、自分たちはいつまで目をそらし続けるのだろうか?

年々画一化が進む日本のテレビドラマが更に拍車をかけ、坂を転がり落ちていくような鈍い感覚。。

 

少女誘拐をテーマにしたこのドラマが放送予定だったのは2018年7月8日の深夜。

撮影も中盤まで進んでいたであろう6月中旬の時点で関東地区での放送を見合わせる決断を下したテレ朝の対応にも疑問を覚えるが、同作品を制作した系列会社のABC(朝日放送)では関西地区限定での放送を続けている。

このキー局と準キー局とが上手くコンセンサスを得れなかった原因は、テレビ業界内ではありがちなディレクション不足に端を発した事情だろうが、親会社であるテレ朝がこのドラマの原作発表の時期を鑑みたあたりに、当初からあまり視聴率を望めない深夜ドラマという放送枠に対する保守的な打算を感じてしまう。

ABCの山本社長は7月10日の会見で、

「いまの時代の世の中にある問題点がつまっている」
「このドラマは放送すべきだと思っています」


と語っているが、この台詞を鵜呑みにすれば彼の根幹にあるドラマ作りに対する真摯な態度と意欲には本当に頭が下がる。

それでいてキー局が実際に朝霧市で起きた誘拐事件の被害者への忖度で放送を自粛するという決断は、一見思いやりのある美談の様にも聞こえるが、裏を返せば世間の批判に対する尻込み。

この気概の感じられない民放の脆弱さが、ネット業界に視聴者を吸い取られていく彼らの最大の瑕疵である事は明確だが、あまりにせつない。

エッジの効いたテーマを舞台にするテレビドラマ作りは、もう過去の遺物なのか。。。

 

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 時勢で変化してゆくテレビドラマ 

思い返せば、新藤兼人脚本による映画『積み木くずし』のドラマ化、高校のラグビー部の葛藤と青春を描いた『スクールウォーズ』等、80年代には社会問題をテーマにしたドラマ作りが盛んに行われていた。

前者は社会問題化した家庭内暴力の実態、後者は学級崩壊した高校のラグビー部の内情を描いた青春ドラマだったが、両者に共通していたのは実在の人物をモチーフにしたその退廃からの再生

『積み木くずし』は公開後の大ヒットでモデルになった穂積由香里氏が後に、覚醒剤取締法違反で逮捕されてしまった事で波紋を呼んだが、『スクールウォーズ』に登場した不良のモデルとされた大八木淳史氏等は後にラグビーオールジャパンにも選出されている。

一見対局の様にも見える二人のその後の人生だが、その絶大なドラマの反響により、生き方を模索するハイティーンが自分の居場所を見出すキッカケになった点では同一。

何時の世でも変わらずに羅針盤を探し求める若者たちのトレンドを示すドラマ作りが民放の主流だった時代から30年以上の時が過ぎ、今のテレビドラマに希望を託す人たちはどれくらいいるのだろうか?

 

妄想世界を彷徨う漫画原作の実写化や、海外ドラマの系譜をなぞっただけの近年の民放ドラマには、どこか元来の日本人らしくない浮足立った浮遊感を感じてしまう。

仮にその浮遊感こそが現代の日本人独特の文化だとするのなら、『幸色のワンルーム』で描かれている歪んだ愛情こそが情緒的な日本人固有の美学のような気もしてくる。

 

ドラマの第一話で描かれていた「ご飯が楽しい」と感じられたことのない少女の心情は、察するに余りある。

この手のレトリックは温かい家庭の風景が存在していた時代だからこそ伝わる表現だが、核家族化してゆく現代社会の波の中で、屈折した愛情にしか拠り所を見いだせない彼らの存在を否定したら、その居場所は何処にあるのだろうか?

 

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 ドラマを通じて試される親の愛情 

前置きが随分長くなったが、ドラマ『幸色のワンルーム』のテーマは実は誘拐ではなく虐待の実態

山田杏奈演じる主人公の少女・幸は幼少期から凄惨な虐待を母親から受け、中学でもいじめにあった事から絶望感に苛まれてゆき入水自殺を図る寸前のトコロで上杉柊平演じる彼女のストーカーにその命を救われる。

この誘拐ストーカーというキャッチーだがリスキーな二つのキーワードで、表面上の批判を浴びせる世論から猛烈なバッシングを受けたが、論点が大分ズレている。

 

このドラマで描かれているのは犯罪者の肯定ではなく、存在感の肯定

仮に原作者が実際の事件からインスピレーションを得ていたとしても、それは非難には値しない。

 

報道の自由以前に、想像の自由があるはず。

完全悪とは立証しづらいこの手の犯罪には、多角的なものの見方が必要な気がする。

 

デリケートな問題ではあるが、朝霧市の誘拐被害の少女も供述で述べていた通り、彼女が犯人宅から一時的に脱出できた際に感じたのは世間の無関心さと自身の喪失感

そこに付け込んだ犯人の緻密な計画によって彼女の監禁生活は長引いてしまうが、最終的に彼女は、閲覧したネット上で母親の切実な自分への変わらぬ愛情を見たことによって、それを勇気に自らの力で現状を打破する事に成功している。

 

しかし、もしここで彼女が自分の居場所に確信を持てていなかったら・・

 

察するに、ここがこのドラマの出発点であり、一辺倒なものの見方では歪んでいく現実社会の歪な気がする。

 

実際の被害少女の心の瑕を慮る姿勢に異論はないが、このドラマを見たからといって彼女の人格を全否定してしまう程、本当に現代の若者は妄信的なのだろうか?

ましてやドラマで描かれている様な自分を心底愛するストーカーの“お兄さん”に、愛情をたっぷり受けて育った子供たちがおいそれとついていくだろうか?

 

つまりこのドラマは、確信を持って子供に愛情を注げていない親たちの世代にとっては踏み絵的存在なのかもしれない。

 

被害少女が監禁生活で抱えたトラウマと同様に、近親者からの可視化されない虐待を受けて育った人間たちは現実世界にも溢れるほど存在している

そんなを持つ人たちが夢描く一縷の望みをどうか、このドラマを通じて、見捨てずに想像してみてほしい。

 

『幸色のワンルーム』
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