マリブのブログ

ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ

映画『レ・ミゼラブル』の私的な感想―怒りのクラスター連鎖は何を生むのか?―

Les Misèrables01

Les Misèrables/2020(フランス)/104分
監督/脚本:ラジ・リ
出演:ダミアン・ボナール、アレクシス・マネンティ、ジェブリル・ゾンガ、ジャンヌ・バリバール

 怒りのクラスター連鎖

新型コロナの爆発的な感染力が広がりをみせる中で、世界中に広がる不安。


テレビを付ければ、そんな対応の遅れを取った日本政府に対し、浅はかな予備知識と貧困な想像力をひけらかすメディアが、これでもかというほどの不満を爆発させる。

 

他人に迷惑をかけたくない、或いはかける事が恥ずかしい日本人は、古くから続く日本伝統古来の自分を顧みずに他人を思いやる文化を、もうすっかり忘れてしまったのだろうか?

 

この映画は、そんな無意識の内に潜む自分達の自己防衛本能が、自立する成長過程にある子供達にどんな影響を与えるのかを、まざまざと見せつけてくれた。

 

ヴィクトル・ユーゴーの残した伝記小説『レ・ミゼラブル』をタイトルに冠したこの映画は、その原作の舞台となったパリ郊外の街モンフェルメイユ地区の今を描く。

冒頭の、ロシアワールドカップでの優勝の歓喜に沸くフランス国民の情景は、本家『レ・ミゼラブル』で七月革命の熱気に包まれる都市の様子そのまま。

この王政復古の打倒、或いは真の言論の自由を手に入れた革命で、フランスという国は他の国に先駆けて、自主性を重んじる国に生まれ変わったといっても過言ではない。

 

そんな動乱の歴史を経てから早200年。

多種多様な文化が混ざり合うようになった現在の同地区では、新たな怒りのクラスター連鎖が巻き起こっているようだ。

本作で描かれているすべてが実際に起きたことに基づいています

という監督の独白通りに、実際の撮影場所ともなったモンフェルメイユ地区で、地元出身の役者をしながら、その客観的な立場で彼は何を見てきたのか?

 

 

 

 

あらすじ

パリ郊外に位置するモンフェルメイユ。
ヴィクトル・ユゴーの小説「レ・ミゼラブル」の舞台でもあるこの街も、いまや移民や低所得者が多く住む危険な犯罪地域と化していた。
犯罪防止班に新しく加わることとなった警官のステファンは、仲間と共にパトロールをするうちに、複数のグループ同士が緊張関係にあることを察知する。
そんなある日、イッサという名の少年が引き起こした些細な出来事が大きな騒動へと発展。
事件解決へと奮闘するステファンたちだが、事態は取り返しのつかない方向へと進み始めることに……。
Filmarksより引用

Les Misèrables02

 「あゝ無情」

偉そうな講釈を垂れてみても、実は最近まで、自分はこの通称“レミゼ”をあまりよく知らなかった。

宝塚や舞台演劇で何度上演されていても、どうもタモさんと全く同じく、ミュージカルに強い拒絶反応が起こってしまう事もあってか、ヒュー・ジャックマンの演じる2012年度版の映画を当時の恋人に無理矢理見せつけられる迄、長年牽制していた。

 

そんな予備知識や思い入れが全くなくても、とてつもない程の激しい怒りの感情だけは、この映画からはしっかりと伝わる。

 

貧民街に住む子供、警察、イスラム教指導者から、自警団化する市長グループ、更にロマ人団体のサーカス集団に至る迄、その理由は様々。

彼らにはコミューン内での秩序やプライド、或いはアフリカ系から流れてきた移民達の疎外感が残る。

それを宗教や肌の色等の差別を取っ払ったとしても、漠然と募っていく不安心。

この燻る感覚を登場する全ての人物に満遍なく行き渡らせ、そのそれぞれのフラットな視点を、スピーディーに描く展開が頗る上手い。

 

各々の主張する正義に、矛盾する点は殆ど見つけられない。

一見、傲慢で不遜に見える犯罪防止犯の警察官達でさえも、それは憮然とした態度で臨まなければ、犯罪の横行する地域では、単純になめられてしまうからだろう。

 

けれど、その蔓延する不安心とそこから沸き起こる苛立ちは、ゆっくりと毒ガスが充満していく様に、閉塞感に包まれた子供達の心を徐々に蝕んでいく。。

 

シティ・オブ・ゴッド』のフランス版、或いは『万引き家族』の子供達のその後を更にドラスティックに描いた問題作とも言えそうだが、一見主人公に見える新米警察官の目線だけを辿っていくと、この映画は少し奇妙にも見えてくる。

それは、ドローンを操る少年の蟠り))(わだかまにもしっかりと結び付けられ、彼らの物語を外側から見つめてきた者達の正論が、次第に崩れていくからだ。

 

自分達は他人への思いやりを、道徳のフォーマットの中で植え付けられ育ってきた。

感謝はきちんと言葉で。嘘は相手を傷つけるのでしっかりと謝罪をする。

この極めてシンプルで人道的な精神論さえも、自分の身を守る為には、放棄せざるを得ない現実を突きつけられたとしたら・・・

 

ラストの衝撃的なシーンには、原題の邦題にもなった「あゝ無情」という言葉が、いかにもしっくりとくる。

とりわけ煽情的に聴こえるこのタイトルは、最近までどうもその違和感が拭えなかったが、劇中で銃口を向けられても尚、怒りを収める事の出来ない子供の姿を目にすると、どうしてもそのフレーズが脳裏を過っていく。

 

聖人君子として、激動のパリの街で散った本家“レミゼ”のジャン・ヴァルジャンは、この果てしない絶望の淵で、どんな真理を見つけられたのだろう?

 

それが、自分の身を犠牲にしてでも、怒りに飲み込まれた相手を受け入れる事なのかどうかは、中途半端なヒューマニズムのままの自分には未だによくわからないけど、その答えを受け手側に全て委ねる監督の演出からは、まるでリアルなその一部始終の顛末を、実際に目の当たりにしてきた彼の告解のようにも感じられた。

 

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