マリブのブログ

ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ

映画『パリ、ただよう花』の私的な感想―揺れ動く情動。セックスで求めあうもの―

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Love and Bruises/2011(フランス/中国)/105分
監督:ロウ・イエ
主演:コリーヌ・ヤン/タハール・ラヒム、ジャリル・レスペール、バンサン・ロティエ

 完全に自立していく女

夢を見させてくれる反面、残酷な現実を容赦なく突きつけてくるのも映画の醍醐味だ。

フランス映画っぽいシェードに覆われ情緒的に描かれてはいるが、セックスシーン満載のこの作品の中身は初期の日活ロマンポルノのエロスとそれほどの大差はない。

それでもこの映画が自分の印象に強く残っているのは、普遍的な愛のカタチを求め続ける主人公・ホア(花)の志に純潔な人の欲求を感じ取れた事。

 

岩井俊二作品の屋台骨だった撮影技師、故・篠田昇氏のそれを彷彿とさせるような手持ち感満載のブレブレのカメラワークには若干酔ってしまいそうにはなるけれども、それは忙しく様々な男の胸の間で揺れ動くホアの心情を全く見事に再現している。

 

フェミニズム? アジア人軽視?

そんな上辺のポリコレをこの映画は軽く一蹴する。

 

どんなに綺麗ごとを重ねても、屈強な男の肉体の前では女はひれ伏すしかない。

ましてや、それが根強く躊躇逡巡のイメージが纏わりつくアジア女性なら尚更。。

 

自身初の原作作品として映画化した監督のロウ・イエが、ネット小説として発表されたリウ・ジエの実体験を基に発表されたこの小説「裸」を、

「僕が常に興味を持っている"愛"というテーマを、女性の視線で率直かつ正直に、人間的な視線で提示していました」

なんて若干気遣ったコトバで述べてはいるが、この男女間の身体的格差の元蹂躙され続けてきた情欲は、太古の世から現代に至るまで決して変わる事のない人間の本質でもある。

そこに抗ってはみても、或いは知識と倫理を武器に男根至上主義自体を否定してみても、その本能的な俗悪さはこの世から決して消え去る事はない。

しかし、、

だからこそ、この映画の主人公ホアはその本能に忠実に生きる。

その様子はまるで、釈迦の境地にまで達した完全に自立した女の原郷感覚の様だ。

 

 

北京からパリにやってきたばかりの若い教師、花(ホア)。なじみのない街で彼女は様々な男と体を重ね、自分の狭いアパートと大学の間、かつての恋人たちとフランスで新たに出会った人々の間を漂う。ある日、建設工のマチューという男と出会う。一目で恋に落ちた二人は、激しく肉体を求め合う。お互い、秘密を抱えたまま…。


『パリ、ただよう花』公式サイトより抜粋

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 人間の本能を曝け出す欲求

夜から朝にかけて、そして朝からまた夜にかけて瞬時に照明色を変えて行きずりの男とセックスに没頭していく彼女の様子は、人間の悪癖なのだろうか?

この手の情動は、臆病で堅実主義な日本人にはもうあまりない感覚なのかもしれないが、自分の心には痛い程突き刺さってくる。

よく男は疲れ切った時ほど性欲が湧いてくるなんて言われるが、実はまったくその通りで、こうしてブログで御託を並べてみてもその衝動はピクリとも湧き上がってはこない。

冒頭でホアがユダヤ系の教授から受けている論理的な講義の様子なんかは正しくその例えで、机上の空論では人の性欲は推し量れないのだ

 

見方によってはただのセックス依存症女のカタストロフィーに感じてしまうかもしれないこの作品だが、自分がこの映画で受けた印象はその真逆だ。

 

貴方にも「アタマでは分かっていても・・」なんて感覚に襲われた事はないだろうか?

 

つまり人の性欲は、倫理や論理的な思考回路とは別のトコロにある。

 

劇中のホアの身に刻まれていく“痣”は、そんな彼女が格差社会の歪みを身をもって伝え続けてくれた勲章の証。

 

パリで教職に就くホアの周りには如何にもなインテリ連中が肩を並べているが、彼女が情事を続けていくマチューの回りには、粗悪で短絡的な労働者しかいない。

そんなマチューが自然と劣等感を覚え、ホアに対し暴力的かつ不安定な精神状態に陥っていく様子はその歪をリアルに捉えた納得の描写だが、彼女はそんなマチューに直感的に純潔を感じとったからこそ、寄り添い続ける。

それは理論武装されていない無垢な男からだからこそ注ぎ込んでくれる安心感だが、それが故に彼の醜態ぶりにホアは戸惑いを覚え始めていく。

「民主主義とは学習の過程」

と答える劇中の中国の思想家の発言がなんとも印象的だが、精神的な自立と解放を求めて中国から飛び出した彼女のパリジェンヌ生活からは、そんな圧倒的に強い女の逞しさが伺える。

 

つまり自分にとってこの作品は、完全なファムファタール映画でありながら、交わる事のない価値観の違いをどう埋め合わせるかを説いてくれた恋愛の教科書でもある。

未だにその問いの答えは見つけられないけれど・・

 

細身の見た目とは裏腹に、ラストシーンでがっぷり果物にかぶりつく彼女の様子は、そんな貪欲に普遍的な愛情を探し続ける女の象徴的なレトリック。

逆光のシルエットに浮かび上がる裸体、乱れるうなじ、相手の心理状態を見透かすかのような冷え切ったホアの瞳等、彼女の全てはため息が漏れてしまう程に美しい。

 

けれど結局彼女は、情欲だけには捕らわれない。

 

そう考えると最終的な結婚生活に必要なモノは、劇中で彼女の帰りを待ち続ける社会的地位を得ているフィアンセのように、奔放で落花狼藉の情事を繰りかえすホアを受け入れられる温もりだけなのか?

情動に突き動かされやすい自分たち映画に携わってきた人間にとっては、安定的で寛容にならざるを得ない彼女のような女性との家庭生活は、やっぱり闇雲に夢描かない方が無難みたいだ。

 

『パリ、ただよう花』
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