マリブのブログ

ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ

映画『ベルベット・バズソー 血塗られたギャラリー』の私的な感想―禁忌に触れた者達の殺戮ショー―

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Velvet Buzzsaw/2018(アメリカ)/113分
監督/脚本:ダン・ギルロイ
出演:ジェイク・ジレンホール、レネ・ルッソ、トニ・コレット、ナタリア・ダイアー、ジョン・マルコヴィッチ 

 牙をむく芸術

芸術家を目指す人間は、意外にもマッチョが多い事を皆さんはご存じだろうか?

ダウンタウンの松ちゃんやGacktなんかもその類で、自分の回りにもストイックに筋トレを欠かさない連中は大勢いる。


つまり創作意欲と肉体美は結構通じる部分が多く、この作品に登場するジェイク・ジレンホールなんかも、見事なシルエットのフルヌード姿を見せつけてくれている。

 

けれど、この手の芸術的センスとフィジカルを両方兼ねそろえた人間達に、凡庸な自分達はどうしても嫉妬を覚えてしまう。。

しかしそんな妬みをもし、アートそのものが察していたとしたら・・

 

そんな中々にエッジのきいた発想の元、少々グロテスクな描写まで盛り込んだこの作品は、創作物という無機質な物体が、意思を持って鼻持ちならないスノッブ達を次々に襲い始めていくという異色ホラー

拝金主義でいつの間にかプライドばかり高くなってきてしまっている方達は、鑑賞前に十分ご注意を。

 

 

 

 

―――モーフィーはバイセクシャルな目利きのいいアートディーラー。
展覧会では、彼の批評を待つアーティストたちが押しかけるが、彼はそのプライドを曲げようとはしない。
ロードラ・ヘイズはそんな彼と組むやり手の画廊オーナーだが、狙ったアーティスト達には金の糸目を着けず。
そんな二人の間で出世を夢見る新人ディーラーのジョセフィーナは、ある日自宅のマンションで奇妙な絵画を見つける。
それは病死した老人が書き残した作品だったが、その絶世の魔力に魅せられた彼らは、数百点にも及ぶ絵画をオークションにかけようとするが・・

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 他人からの付加価値

ゴシック調のバックミュージックが程よくアーティストたちの見栄の張り合い具合に混ざり込んでいて、なんだか妙に心地いい。

更に『ヘレディタリー/継承』の顔芸女優トニ・コレットや、あくの強い演技が定評のあるレネ・ルッソ、極めつけは言わずと知れた名優ジョン・マルコヴィッチまでもが、プロ意識の狭間で懊悩する一流画家なんかを演じており、それぞれの魅力的なキャラクターをたっぷり味わう為には、ちょっと集中しないと直ぐに置いていかれてしまう。

そんな中でも、私的にはかなり見た目がドンピシャのゾウイ・アシュトンが演じるジョセフィーナと、『ストレンジャー・シングス』でめいいっぱい可愛さを振りまいていたナタリア・ダイアー演じるココまでもが、アートな世界の中での姑息な立身出世合戦なんて始めていくものだから、更に忙しい。

 

しかしヒキで観ると、その猥雑さこそが監督が警鐘を鳴らす歪んだ現代アート市場の実態であり、他人からの付加価値がないと自分の判断基準さえも危うい即物的な人たちへのアンチテーゼの様にも見えてくる。

 

更に、展示会に並ぶ作品群にも意味深なメッセージが散りばめられていて、その意味をいちいち咀嚼していくには、流し見ではちょっと追いつかなくなっていってしまうスピード感。

しかしそんなアートなイディオムとエキセントリックな殺戮ショーは置いておいたとしても、やっぱり気になってくるのはアートディーラー達の倒錯具合

“ベルベット・バズソー”(深紅の丸鋸)のタトゥーを首元に拵えたままのヘイズなんかも、元々は尖ったパンクバンドの一員だったわけで、彼らがその自分達の才能の見切りをつけ、ビジネスと割り切って芸術品を売買し始めた瞬間から、それらは牙をむき始める。

つまりそれは、芸術に自分達の欲望を上乗せした資本主義経済を強烈に皮肉っているわけで、そこからたじろいだ人間、或いはそれに純粋に感動を覚える人間達にその魔の手は及ばない。

結局そんな人の欺瞞こそが、アートを狂気に向かわせるのか?

なんて思っているとラストの不気味な絵画からでさえ、往年のモネやゴッホの苦悩が伝わってくるかの様だ。

それでも世界の片隅に無数に埋もれている美術品は、誰かが個人の主観で拾い上げてくれない限り、自分達には永久にエンパシーを感じとるコトは出来ないのだけれど。。

 

『ベルベット・パズソー 血塗られたギャラリー』Netflixで観賞できます。

www.netflix.com

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