マリブのブログ

ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ

映画『迫り来る嵐』の私的な感想―香港返還の裏を描いたアジアン・ノワール―

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暴雪将至/THE LOOMING STORM/2018(中国)/119分
監督/脚本:ドン・ユエ
主演:ドアン・イーホン/ジャン・イーイェン、トゥ・ユアン、チェン・ウェイ

 現実と妄想が交差するノワール

重苦しいテーマの映画は随分見てきたつもりだが、今回のは結構堪える。

腹の底に染み入ってくるかのようなその冷たさは、社会主義国家の底辺で蠢く人達の地鳴りの様な叫び声なんだろう。

 

無駄なサントラを一切排除した演出のおかげで、彼らの夢のない日々の厭世観は重畳的にその気怠さを増してゆく。

そんな時代や場所にもし生まれてきていた空っぽの自分の身の上なんかを考えてしまうと、本当に血の気が引いてしまう。。

 

この作品が初監督作品となるドン・ユエ監督は、これまで何を見てきたのだろうか?

人の傲り、妬み、嫉妬と、様々な悪意が交差するこの作品の前では、同じ猟奇殺人事件をテーマにした韓国の『殺人の追憶』でさえ、だいぶ朗らかに感じる。

唯一の救いとすれば、主演のユィを演じるドアン・イーホンが舞台仕込みの臨場感溢れる芝居で、しっかりと前を向いて生きている点だ。

国営製鉄所勤務の警備員という立場に甘んじながらも、彼は正義心に熱く、保全部という非生産労働者にも関わらず表彰を受ける。

そしてやる気のない国家警察を尻目に、独自捜査で犯人を追い詰めていく。

 

しかしそんな風に息詰まりながらも精一杯生き抜いてきたユィの数年間の思い出が、実は幻の様に過去に消えていったただの妄執だったとしたら・・・

 

 

 

 

あらすじ
1997年。
中国の小さな町の古い国営製鋼所で保安部の警備員をしているユィ・グオウェイ(ドアン・イーホン)は、近所で起きている若い女性の連続殺人事件の捜査に、刑事気取りで首を突っ込み始める。
警部から捜査情報を手にいれたユィは、自ら犯人を捕まえようと奔走し、死体が発見される度に事件に執着していく。
ある日、恋人のイェンズ(ジャン・イーイェン)が犠牲者に似ていることを知ったユィの行動によって、事態は思わぬ方向に進んでいく…。
果たして、ユィに待ち受ける想像を絶する運命とはー。
公式HPより抜粋

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 時代に取り残された人々

刑務所から出所してきたユィのフラッシュバックから始まるその思い出は、97年からの出来事をオーソドックスなダークスケールで描いていくが、何よりもその芝居のためが凄い。

予告編を見ても分かるとおり、劇中の描写は殆どが間延びしたテンポでゆったりと進行していき、ここで早くも、スリリングな展開を期待していた観客を見事に裏切ってくるわけだ。

 

つまり、この作品は猟奇殺人事件を扱ったクライムドラマではあるが、スピーディーなサスペンスではない

そこにスチールマン上がりの監督の時代を見据えた独自の視点が垣間見える。

 

97年と言えば、アヘン戦争後にイギリスによって統治下に置かれていた香港が中国に返還された年。

外野から見ているとそれは、長い年月の末にようやく解放された国民の歓喜の瞬間の様に写るが、監督はそこに中国国内で過疎化していく地方都市から見える目線での一石を投じた。

 

つまり99年間もの長い間イギリスによって租借されてきた香港は、その資本主義経済の発展によって、中華圏であって中華圏ではない。

 

国内の末端に位置するブルーワーカーからすれば、それは正に夢の様なおとぎ話で、劇中の主人公の恋人イェンズなんかもその自由で艶やかな生活に憧れを抱いてみたりなんかする。

しかし長年の共産体制下で、まるで毒ガスの様に地を這う負のオーラに包まれた底辺の人間達は、そんな波に上手く乗る事ができるわけもなく、やがて倒錯していく。

そんな時代の変わり目を上手くアートと融合させた紀里谷監督の『CASSHERN』なんかでは、そこから這い上がろうとする国民の一筋の光を人造人間に託し活路を見出そうとはしていたが、この映画はそのリアル版だろう。

その突きつけられる現実の中では、いきなり市場経済の競争に巻き込まれる登場人物は、ただ戸惑い、そして時代の境い目へと飲み込まれていく。

 

謎解きモノではないのではっきり言ってしまえば、このクライムドラマでの真犯人はさして重要な人物ではない。

と言うよりも、あの頃の時代の坩堝(るつぼ)に飲み込まれた人間達の全てが、殺人犯にも成り得た解釈するべきなのだろうか?

更に殺人を犯さないまでも、彼らの命はあまりにも脆く、そして虚しく散っていってしまうのだが・・・

 

劇中のラストではそんな人々の過去の負の遺産が『ニュー・シネマ・パラダイス』の顛末さながらに崩れ落ちてゆくのだが、97年当時、文化大革命によって守られてきた封建的社会制度が金儲け主義の資本経済に飲み込まれていった狭間に生まれた歪みはあまりに大きい。

そんな“変革の嵐”を実際に起こった中国の歴史的豪雨に準え、シュールなダークトーンのノワール映画として世に送り出してきたドン・ユエ監督は、時代に取り残された人々が抱えていた闇の正体を、きっと見過ごしておく事が出来なかったのだろう。

「迫り来る嵐」
7月3日よりTSUTAYAでレンタル開始されます。

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