マリブのブログ

ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ

映画『止められるか、俺たちを』の私的な感想―『カメ止め』で映画界に魅せられた人達へ・・―

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止められるか、俺たちを/2018(日本)/119分
監督:白石 和彌
出演:門脇 麦、井浦 新、山本浩司、岡部 尚、大西 信満、タモト清嵐、満島 真之介、寺島 しのぶ、奥田 瑛二

 彼が死んだ日の朝に。。

まるで自分たちの半生を振り返ってくれたかのような映画だった。

くぐもった閉塞感の中、あの頃抱いていた情熱が静かに蘇ってくる。。

 

「今日は何の日?」

 

なんて、ちょっと意地悪く新人の若い同僚に聞いてみた。

「10月17日・・・・トオイ、ナツノヒ・・?」

なんて抜群のセンスで答えてくれた彼女を絶賛してあげたいトコロだが、かくいう自分も、実は昨朝までその日が何の日なのかは全く知らなかった。

事務作業に追われながらも、ネットニュースの端にひっそりと載っていたキラーワードに目が留まる。

「若松孝二の命日に捧げる・・」

 

思わず午後からの仕事を放りだし、テアトルの階段を下りたトコロで自分の眼下に広がったのは、献花台に手向けられたサッポロビールとショートピース。

全ての映画屋が憧れたオーセンティックの象徴だ。

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久しぶりの新宿の喧騒にたじろいでしまい冒頭の10分ばかしを見逃してしまったが、そんな相変わらずへまを繰り返している自分さえも彼の遺影は優しく受け入れてくれるように感じる。

それでもやっぱり言われてしまいそうだ。

訛りの強い早口なあの言い方で。

「オマエ、誰だっけ・・?」

と・・・。

www.youtube.com



 

吉積めぐみ、21歳。1969年春、新宿のフーテン仲間のオバケに誘われて、"若松プロダクション"の扉をたたいた。当時、若者を熱狂させる映画を作りだしていた"若松プロダクション"。 そこはピンク映画の旗手・若松孝二を中心とした新進気鋭の若者たちの巣窟であった。小難しい理屈を並べ立てる映画監督の足立正生、冗談ばかり言いつつも全てをこなす助監督の ガイラ、飄々とした助監督で脚本家の沖島勲、カメラマン志望の高間賢治、インテリ評論家気取りの助監督・荒井晴彦など、映画に魅せられた何者かの卵たちが次々と集まってきた。 撮影がある時もない時も事務所に集い、タバコを吸い、酒を飲み、ネタを探し、レコードを万引きし、街で女優をスカウトする。撮影がはじまれば、助監督はなんでもやる。現場で走り、 怒鳴られ、時には役者もやる。 「映画を観るのと撮るのは、180度違う…」めぐみは、若松孝二という存在、なによりも映画作りに魅了されていく。

『止められるか、俺たちを』公式サイトより抜粋

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 映画界を駆け抜けた女

“吉積めぐみ”の半生を描いた映画

と言われても、彼女の事を知る人間はもう殆どいないだろう。

アラフォーの自分たちでさえ、未だ映画界に入りたてだった頃先輩の一人から彼女の名を薄っすらと聴いた事があるくらいだ。

映画界に命を捧げた女不器用な女の代名詞の様なフレーズとしてなんとなく記憶してはいたが、その彼女の半生は門脇麦の熱演でしっかり解明されていた。

 

彼女は自分たちと何も変わらない、ただものが言いたかった女性のようだ。

 

脇を固めるキャストには、若松の右腕的存在だった足立正生役に山本浩司、往年の名優吉澤健役を高良健吾、大島渚役を高岡蒼佑、赤塚不二夫役を音尾琢真と、それぞれ若松孝二にゆかりの深い俳優達が演じていたが、若松孝二本人役を一見シュールな印象に見られがちな井浦新が演じていたのも興味深い。

彼は是枝監督の『ワンダフルライフ』以降、若松孝二作品に多数出演してきた生粋の若松組出身の俳優だが、その存在感はエネルギッシュな若松監督本人とは真逆の性質の空気感を漂わせる俳優な気がする。

初日舞台挨拶で門脇麦が吐露した様に、彼は撮影前に吐き気を催す程の緊張感を感じていたようだが、つまりこの映画は、そんなあの頃ギラついていた映画界への憧れと情念がたっぷり詰め込まれた作品だ。

 

戦争の悲劇を克明に語り継いだ『キャタピラー』でベルリン国際映画祭銀熊賞の栄誉に輝いた寺島しのぶがそんな彼らにひっそりと花を添え、『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』でスクリーンデビューを飾った満島真之介が、劇中の役で声高に社会に迎合した若松作品に罵声を浴びせる。

メイキングでは若松役の井浦が、彼に叱咤されるシーンのスタンドインで思わず笑みを零してしまっている描写が残されているが、若松孝二その人を知らなくても、そこからは彼の作品への深い愛情がヒシヒシと伝わってくる。

そんな彼らの半生を、見習いから若松プロで助監督としてのキャリアをスタートさせた白石和彌が、40年の時を経て若松プロの再始動作品として現代に蘇らせてくれた執念には頭が下がる思いだが、流転する時代の渦中でそんな彼らが叫んでいた事は何だったのか? 

 

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 自分たちに残されたもの

PFLP(パレスチナ解放人民戦線)に身を投じていた重信房子、割腹自殺を図った三島由紀夫等、劇中には極左、極右の象徴ともいえる人物も登場してくるが、この映画自体にはそんな小難しいプロパガンダが内包されているわけではない。 

 

それは門脇麦が演じた主人公のめぐみの人生を鑑みれば直ぐにわかる。

彼女は劇中で映画を作り上げるが、そこに主張はなく、更に屋上から立小便をする男たちに憧れてもそれはままならない。

ここら辺の現実はどこまで史実に沿っているのかは分からないが、つまり白石監督が伝えたかったコトは、ただ只管に問題意識を持つ勇気だ。

 

女であることと表現者でいることの狭間で悶え続けるめぐみの人生は、それを物悲しくも観客に強烈な憧れを抱かせてくる。

 

若松孝二監督自身、彼は高い学歴のキャリアを持ち合わせているわけでもないので、そんな彼女に偏った思想を押し付けるわけでもなく、無鉄砲だが父親の様な愛情で見守り続けている描写はかなり印象的。

 

この作品の台本の1ページ目に製作意図として、

“若松は言っていた「映画を武器に世界と闘う」”

と綴られてあった様に、彼は戦争と不平等を純粋に憎んでいただけの生粋の情熱家

それをピンク映画の巨匠と野次られながらも直向きに追求し続けた彼の姿勢は、どこか現代の自分たちの日常にもオーバーラップ出来ないだろうか?

 

共産主義者の伝統歌である「インター」を謳う仲間に、

「成功した革命家のゲバラもカストロもみんな富裕層の息子だから「起て、飢えていない者よ」じゃないとだめだ!」

と割って入る若松の姿勢や、

後にチェッカーズの総合プロデュース等で有名になる通称“オバケ”こと、秋山道男が尖った映画を作り続ける若松プロの姿勢に対し、

「連れ込み目的のオッサンたちにも、届く映画じゃないとダメなんだよ。」

という台詞からは、まるで時代に迎合して傍観者のままでいる自分たちへの強烈な𠮟咤激励が聴こえてくるようだ。

 

「あの頃はいい時代だったんだよ」

なんて嘯く上映後の観客たちを尻目に、正に躍動する時代の片隅を駆け抜けた彼女へのレクイエムであり、今を生きる自分たちへの応援歌でもあるこの作品を観終えた後には、若松孝二が愛し続けた新宿ゴールデン街でピースを燻らしながら、久しぶりに一晩中飲み明かしてみたくなった。

 

『止められるか、俺たちを』
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