マリブのブログ

ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ

映画『ファースト・マン』の私的な感想―アームストロング船長の空白の時間―

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First Man/2018(アメリカ)/141分
監督:デイミアン・チャゼル
主演:ライアン・ゴズリング/クレア・フォイ、ジェイソン・クラーク、キーラン・ハインズ

 人類で初めて月に降り立った男

宇宙飛行士”という肩書には、無条件で惹かれてしまう。 

それは夢想家の自分にとっての見果てぬ夢であり、永遠の憧れ。

 

宇宙モノ映画はそれだけで意識を幻想空間に飛ばしてくれるが、そのまず最初の一歩を踏み出してくれた偉人の業績には案外疎い。

よくガガーリンと混同されがちなアームストロング船長は、そんな人類で初めて月に降り立ったタイトルそのままの“ファースト・マン”だけど、そんな彼の人物像を正確に理解していた人は極めて稀だろう。

 

後世では彼を寡黙な男と呼んでみたり、高潔な男と称してみたりしているようだが、どれもイマイチピンとこない。

それもそのはず、彼の人となりはその功績を記したレポートにしか残されておらず、文面でしかその偉業を知らない自分達の世代とっては、その質感があまり感じられない。

 

セッション』、『ラ・ラ・ランド』と立て続けにヒット作を世に送り出してきたデイミアン・チャゼル監督は、そんなニール・アームストロング船長の持つ温度に目をつけてくれた。

「That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind.」
「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。」

という彼の台詞はあまりに有名だが、その若干達観した物言いには何人をも寄せつけない重厚感が感じられる。

宇宙モノの映画にしては大分静謐な作りのこの作品を観終えると、そんな偉人に祀り上げれた彼と、くぐもった毎日を送る自分たちとの距離感が大分近くなってくる事だろう。

 

 

 

 

あらすじ
人類の夢であり、未来を切り開いた月面着陸計画。史上最も危険なミッションを成功に導いたアポロ11号船長アームストロングの視点で壮大なスケールで描くー。
Filmarksより抜粋

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 詩情に溢れたアームストロングの半生

アポロ13』で描かれていた月からの奇跡の生還を果たしたラヴェル船長なんかは、その冒険の詳細を刻銘に記した報告書のおかげで随分ドラマティックに描かれていたが、それは少々穿った見方をしてしまえば、エンターテインメントにやや誇張された人物像でもあるようだ。

それは彼を演じたトム・ハンクスの少々大袈裟な芝居のおかげもあり、人間味溢れるヒューマンドラマとしての温もりを受け手に与えてくれたけれど、この作品の主人公ニール・アームストロングを演じたライアン・ゴズリングには、まず抑揚がない。

冒頭からいきなり始まる手振れ感満載の実験機での空中映像は、それを見ているだけでも観客が宇宙酔いをしてしまいそうになるが、透き通った瞳のライアンは微動だにせず、どんなトラブルが発生しても極めて冷静に対処する。

この面白味のない彼の個性は、60年代当時、ソ連との間で熾烈な宇宙開発競争を繰り広げていたアメリカの社会情勢との狭間で埋没してしまっていた。

ニール・アームストロングはその宇宙服を脱いだ後も、様々な政治的プロパガンダに利用されそうになったが、彼は一部の非営利団体や公共的な組織以外には、自筆のサインをする事でさえも受け付けなかったようだ。

「そもそも自分たちを普通の家族だと思っていたんだよ。父がパイロットだったのは知っていたけど、歴史を変える偉業に挑んでいるとは到底考えが及ばなかった」

とこの作品の公開後、彼の息子達がシネマトゥデイの取材にコメントしている様に、彼の公人としての顔の裏には素朴で朴訥な性格が伺える。

しかしそんな彼にも実はドラマがあった。

一つ目は彼が愛妻のカレンとの間に授かった娘を幼少期に悪性腫瘍で失ったエピソードと、NASAの訓練生時代の1964年に起きた自宅を丸ごと焼失した火災。

前者は作中での大きな心の機微を描くポイントとして残されたが、後者は当時生後間もない赤ん坊だった二人の息子を燃え盛る炎の中からニール自身の手で救出したにもかかわらず、映画の中ではバッサリカットされている。

映画の原作となった伝記『ファースト・マン 初めて月に降り立った男、ニール・アームストロングの人生』にも記されていたこのエピソードを潔く切り捨てた『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 』の脚本家でもあるジョシュ・シンガーの判断は正しく英断。

ここでようやくエンターテインメント依存した映画作りから脱皮した監督、脚本家、製作総指揮を務めたスピルバーグ等の共通見解が生まれたのだろう。

 

つまりこの作品は、宇宙映画、ヒューマンドラマ、伝記映画の枠を超えた、一人の寡黙な男の半生を綴ったポエム

そしてそんな彼が死と隣り合わせのミッションの末に辿り着いた、無我の境地だったのだろう。

 

 

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 撮影技術と俳優の臨場感

そしてそんな彼の詩情をたっぷり盛り上げてくれたのは、細かなディテールにこだわったその映像手段

60年代当時の質感を前面にうち出す為、監督はニールの家族や友人達との描写等には16ミリキャメラと35ミリキャメラを併用し、淡く微かにボケた空気感を演出。

そして前述した宇宙船での飛行シーン等においては執拗なまでに画面をブレさせ、その緊張感を与えてくる。

更にアカデミー賞にもノミネートされたその音響効果と録音技術も凄まじく、劇中のコックピット内に響き渡る金属音、ブザーの音質、更には管制センターからの通信記録に至るまでかなり細やかな再現手段が施されている。

そして圧巻なのは、ラストに繋がるIMAXキャメラで撮影されたダイナミックな月面映像なのだが、その根っこにあるものがちっぽけな男の日常であるからこそ、対比が極めて美しく映えている。

ニールの妻ジャネットを演じたクレア・フォイの献身的な魅力は、古き良き時代の良妻賢母をまさしく地でいったような雰囲気ではあるが、夫が月面着陸へと向かう直前には、その抑え込んでいた感情を激昂させる。

つまりこの忠実な臨場感こそがどこにでもいる父親のようなニールと観客との距離感を縮め、更には実際に起きたアポロ1号の悲劇的な事故ともリンクさせてくるのだが、そんな人類として初めて月に降り立った彼が、そこに残してきたものとは何だったのか?

 

 

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 月面での空白の時間

世界中に放送されたニール・アームストロングの月面着地映像はその真偽を問う声も未だに後を絶たないが、残された資料を信用するとすると、彼は国から受けたミッションを忠実かつ、着実に熟していく。

そして問題の彼が着陸船から60m離れたイースト・クレーターに歩いていった空白の時間もその詳細はしっかり記録されているが、チャゼル監督はそこに素朴な疑問をぶつけてきた。

 

つまり彼は、本当に国の威信を背負って月へと到達したのか?

ここに家族の不安をも犠牲にして偉業を成し遂げたニールの真意があるのだが・・

 

感想だけに留めておくとすれば、それはきっと耐え忍んできた人生において、彼が唯一自らに課したミッションだったのだろう。

どこか日本人気質にも似たそんな黙して多くを語らない男にとって、政治的なヒロイズムもありふれた美談もいらない。

それは現実の世界で無力感と孤独をきっちり受けとめた者だけが辿り着く、死と生の狭間の境地

或いは、『コンタクト』のジョディ―・フォスターが演じたエリーが、葛藤の末、宇宙空間で手に入れた神秘的な感覚にも近いものと言えるのだろうか?

そしてそんな虚無が月面のクレーターの深淵に立たされた瞬間にようやく解放されたのだとすれば、国家的事業の大役を担った責任感の追求も、更にはその事実の信ぴょう性を問う声さえも、あまりに野暮だ。

その静謐なカットは、幼少期より父親の背中を見守り続けた息子たちがしっかりと受け入れた時点で、きっともう、真実の歴史として永遠に語り継がれていくはずだから・・  

 

「ファースト・マン」
7月3日よりTSUTAYAでレンタル開始されます。

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