マリブのブログ

ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ

映画『魂のゆくえ』の私的な感想―宗教に縛られる者が見失っていく事―(ネタバレあり)

First Reformed01

First Reformed/2019(アメリカ)/113分
監督/脚本:ポール・シュレイダー
主演:イーサン・ホーク/アマンダ・サイフリッド、セドリック・カイルズ

 宗教に捕らわれる者の悩み

この映画のテーマでもある問題をちょっと昔に突きつけられた事がある。

幼少期よりアメリカの片田舎で、敬虔なバプテスト(キリスト教プロテスタントの一教派)の家庭にどっぷり浸っていた彼女は、結婚後も夫にパイプカットまでさせて子供を産まない選択をしていた。

彼女の事を妹目線で見ていた自分は、久しぶりに再会した時その事実を告げられ、パブで泥酔しながらも必死に説得を試みた。

今から思えば、随分無責任な発言だったようにも感じるが、彼女の口をつく言葉は劇中にでてくる苦悩に満ちた夫マイケルの台詞同様、

「絶望的な将来が待ち受けている現代で、物心がついてきた子供に、自分を産んだ意味を答える事ができない」

というものだった。。。

 

悲観的なものの見方という点においては、活発な優等生だった彼女よりも数段自分の方が上だと思っていたのだが、そんな彼女たちはいったい何に怯えているのだろう?

 

子供もいない自分が言うのもかなりおこがましいが、自分なら、

「お父さんとお母さんが愛し合ったからだよ」

なんて、ちょっとはにかみながらも、きちんと白状してしまうと思うけど・・・

 

日本人が疎い宗教映画のような切り口でだいぶ紛らわしいかもしれないが、この映画が投げかけるテーマはそんなに難しいものじゃない。

無神論者の自分からすれば、宗教に縛られ自分を見失った男の儚い物語であるというだけで、聖書の解釈なんて知らなくてもすんなり納得ができる。

そして、映画の中に出てくる環境問題やそれに対する忖度を、純真さを貫く者達の憤りとすれば、この映画は自分達にもだいぶ身近に感じられるだろう。

 

・・余談ではあるが、子供を産まない決断をしていたバプテストの彼女の夫は、無事オープン・エンデッド方式による精管の再結合手術に成功し、今現在、6歳になるハーフの美少女に育った娘を目に入れても痛くない程に溺愛し、嫉妬を覚えるくらいの仲睦まじい夫婦生活を送っている。。。

 

 

 

 

 

 

あらすじ
トラーは、ニューヨーク州北部の小さな教会「ファースト・リフォームド」の牧師。
ある日、トラーはミサに来た若い女性メアリーから、環境活動家の夫マイケルが思い悩んでいるので相談に乗ってほしいと頼まれる。
仕方なく出向いたメアリーの家でマイケルと話したトラーは、彼が地球の未来に思い悩むあまり、メアリーのお腹の子を産むのに反対していることを知る。必死に説得を始めるトラーだが、心の底ではマイケルに共感し自分の説明に納得のできないもうひとりの自分がいる。
一方、彼は自分の所属する教会が、環境汚染の原因を作る大企業から巨額の支援を受けていることを知る。本当の正義とは一体何なのか。
トラーの信仰心は徐々に揺らぎはじめ、やがて怒りにも似た感情が彼を蝕んでいくのだった…。
Filmarksより抜粋

First Reformed02

 50年間抱え込んだ苦しみ

タクシードライバー』や『救命士』の脚本家ポール・シュレイダーが、その構想に50年の年月を費やし、1館当たりの興行収入も彼の最高額を更新した作品のようだが、350万ドル(2億9千万円)の予算をかけた割には、映画のテイストはだいぶ質素で静かすぎる気もする。

更に彼が着想を得たという同じ神の不在を説くイングマール・ベルイマンの『冬の光』なんかよりも、随分と通俗的で面白みのないカット割りが繰り返され、よほど集中をしていないと、うっかり居眠りをしてしまいそうになるだろう。

けれど監督が自身の集大成作品と掲げるように、万人に届けるエンターテインメントな映画というよりは、齢72歳を超えてきた彼が、その人生の最期に向けて秘めてきた素朴な疑問を投げかけてみたかっただけなのだとすれば、そんな彼の憂いに対する配慮も少しは鑑みた方がいいのかもしれない。。

 

そしてイーサン・ホーク主演の映画という点でも、実はこの作品を見るのをちょっと躊躇ってしまったという先入観を持つ自分の負い目もあった。

彼の代表主演作は『ガタカ』以外どうも大作映画の二番煎じな感覚が否めなく、そのルックスや演技力にも、私的にはかなり中途半端なものを感じてしまう。

 

けれど、そんなどこか陰りのある二人の空気感が、意外にもこの映画に漂う独特な悲壮感を随分上手く膨らませていた。

 

監督の持つ純粋な疑問を背負いこんだ主人公の牧師トラーは、自らの信仰心に迷い続け血尿まで垂れ流す。。

それは宗教の矛盾、社会の矛盾、ひいては自分自身の持つ信念との葛藤だが、その苦しみは誰にも理解されることなく、そっと日記にしたためるのみ。。

 

・・まるで、ブロガーとしてこうして思いを綴り続ける自分達と全く同じように・・・

 

つまり、監督が50年間もの間悶え続けた苦しみは、ネット社会に生きる現代でも殆ど変わらない。。

 

その違いが、宗教という固定概念に晒されているかどうかで大きく変わる事を念頭に置いておくと、彼の迷いにもまずは少し感情移入する事ができるだろう。

 

 

First Reformed03

 予定説を信じる者

劇中に出てくる聖書訳の引用、或いはキリスト教の概念等は、正直あまり意味を持たないが、主人公のトラーが日本ではよく耳にする神父(ファーザー)或いは司祭(プリースト)ではなく牧師(パスタ)な点だけはこの映画の鑑賞前に、是非頭の隅に留めておいてもらいたい。

 

キリスト教の宗派は、大きく分けるとカトリックとプロテスタントという二大宗派によって分類されるが、形式や教会の権威を重んじるカトリックと違い、プロテスタントはキリストの教え自体を重んじる絶対的な聖書主義である。

更にこの作品の原題でもある“first reformed church”(firstは架空だが改革派の教会)の牧師である彼らは、カルヴァン派の流れをくむ予定説の教義を信じる数少ない宗派の一つでもある。

 

予定説とは
カルヴァンによれば、神の救済にあずかる者と滅びに至る者が予め決められているとする(二重予定説)。神学的にはより広い聖定論に含まれ、その中の個人の救済に関わる事柄を指す。全的堕落と共にカルヴァン主義の根幹を成す。
wikipediaより抜粋

 

キリスト教義内でもこの教えを異端とする宗派も多い中、平たく言ってしまえば、現世でいくら善行を積んでも、或いは罪を犯しても、その人間が天国に行けるかどうかは予め神によって定められているとする概念を持つ極めて割り切った思想の宗派である彼らは、その教えを忠実に理解しようとするあまりに、劇中のトラー牧師同様、しばしば矛盾だらけの現実に絶望を感じてしまう。。

 

・・やがて自分の過ちによって生まれた過失から、環境破壊に警笛を鳴らすマイケルの主張に傾倒してゆき、自らの宿命に準拠し社会悪を断罪しようとしていくと・・・

 

これを、物質主義に捕らわれる現代のアメリカに重ね合わせてみるのも面白い。

 

そして最終的には、教えを説く側の人間が自分自身の幸福を求める事が善なのか、悪なのかという難しい判断に観客は晒されていくのだが・・・

 

 

 

First Reforme04

 ラストシーンの解釈(※以下、ネタバレあり)

この映画を観ると、大抵の方はラストシーンで呆気にとられてしまうだろう。

それは思い悩む事自体で自我を保ち続け、牧師としての責務を果たそうと努めていたトラーが、一気にファンタジーの世界さながらのハッピーエンドを迎えてしまうからだ。

 

しかしその最期を注意深く見ていくと、少し不可思議な点も残る。

 

劇中、彼はマイケルの子を宿したメアリーを、聖職者の立場から支え続けようとする。

マジカルミステリーツアーなんてメルヘンな世界に彼女と一緒にどっぷり迷い込むのも、『レ・ミゼラブル』でコゼットを演じたアマンダ・サイフリッドのあまりのチャーミングな魅力に監督が血迷ってしまったせいなのかもしれないが、牧師の彼女へ対する気持ちは、ある瞬間から決定的に恋愛感情へと変化していく。。

 

彼を悩ます頭痛の種は、愛する息子を戦争で亡くした前妻のエスターとの確執の果てに、自らの過ちに科した厳罰。

 

やがてジハードを目論む一部の過激なイスラム教徒さながらに、マイケルの意思を受け継ぎ自爆ベストを着こんでいる彼も、それは予定説によって裏打ちされた虚構であり、苦悩に晒された者が最後に辿り着く贖罪の意識と言えるだろう。

 

そしてそれが愛する者を巻き込めなかった時に、自分の信仰心が虚像であった事に気付かされてしまう・・

 

しかしそんな彼がスピーチに向かう前の前室には、実はしっかりと内側から鍵がかけられていて、そこで出逢える筈のないメアリーとの濃厚なラブシーンが待ち受けているのであれば・・・

 

ここからは、キリスト教が大分身近にあった著者の完全な主観での見解ではあるが、、

 

前述したカトリック教徒とバプテスト信者には、もう一つ大きな違いがある。

 

それは、慈悲深くのめり込みやすい、信仰心の厚さ

 

元来、教義や戒律を重んじるカトリックに比べ、バプテストは素朴で質素な生活を求めながらも、教会で歌う讃美歌やゴスペル等はだいぶ砕けた印象のものが多い。

更に現状では形骸化が進むカトリックよりも、精力的に聖書訳に対する多様な見解を模索する風潮にあり、牧歌的で自由な気風の中でも割合、神がもたらす奇跡を信じやすい傾向にもあると言える気がしている。

 

この作品の監督のポール・シュレイダーと言えば、極めて厳格なカルヴァン主義の家庭に生まれ育ち、長い間映画を観ることさえも禁止されていた少年期を送った。

その彼が人生の締めくくりに、疑問を抱き続けてきたバプテストの概念に敢えて原点回帰し、更にその思想の危険性を明るみにした上で、最期に本当の奇跡を信じてみたくなったとしてもなんら不思議はない。

 

バレットタイムで撮影されたラストシーンで抱き合うそんな二人の様子は、監督が人生の終止符を打つ時に願う天使の降臨劇を具現化しているのだとすれば、この映画によって生まれるその解釈は、きっと盲目に宗教に依存する者達が希望を繋ぐ事のできる新しい聖書訳と言えるだろう。

 

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