Hold the Dark/2018(アメリカ)/125分
監督: ジェレミー・ソルニエ
出演:ジェフリー・ライト、アレクサンダー・スカルスガルド、ジェームズ・バッジ・デール、ライリー・キーオ
エッジのききまくった厭世観
この作品を観てからの憂鬱が未だに抜けない。
ちょっとしたミステリー?スリラー映画?な感覚で自分の様に手を出してしまうと、激しく後悔する事になるだろう。
125分の長尺と物語の全体を覆う暗いムードだけでも落ち込んでいる時に観るとかなり滅入ってしまいそうだが、この映画の根幹にある概念に晒されてしまった時には、ちょっと足が竦んでしまう。
監督のジェレミー・ソルニエは『グリーンルーム』や『ブルー・リベンジ 』といった排他的なスリラー映画を得意としているようだが、その静かでエモーショナルな作風はカンヌやサンダンス等でも一定の評価を受けている。
そんな若干ソシオパスぎみな彼がこの作品でいよいよ辿り着いたのは、遺伝子集合淘汰。
この少々ケミカルチックな雰囲気を醸し出すフレーズは作品の占める厭世観にはそぐわないのかもしれないが、それぐらい割り切って観ていかないと登場人物たちのカタルシスにはちょっとついて行けない。。
つまり警告しておくと、この作品は相当ヤバイヤツである事はまず間違いない。
―――極寒の地のアラスカで、作家のラッセルに手紙を送る母・メドラ。
彼女は近所の子供たちが次々と狼に襲われた事件を受け、行方不明となった自分の息子もそれにさらわれたと主張する。
狼の生態を熟知していたラッセルは、そんな彼女からの依頼を受け、アラスカへとやってくる。
圧倒的な自然界の摂理
おすすめ映画として紹介していいものか若干判断に迷うトコロだが、ここまで振り切った人間の倒錯具合を描いた作品は大分珍しいんじゃないだろうか?
冒頭15分くらいは静かすぎる音楽と陰鬱な人物描写の中で若干眠たくなってしまうだろうが、『ウィンド・リバー』のような人種間問題をテーマにしたサスペンスを期待して観てしまっていると、どうも様子がおかしい。
裸でラッセルのベッドにやってくるメドラぐらい迄は、子供を失った事で鬱病を発症しかけている母の様子として分からなくもないが、その歪んだ精神状態は中東に派遣されている彼女の夫・バーノンにも引き継がれている。
幼馴染みから結婚をしていたふたりが、衝動的に持ち合わせていたシンパシーを感じ取ってしまったとしても、何かが腑に落ちない。
つまりこの夫婦はそれぞれの別の狂気の中にいる。
夫のいる世界は、殺戮と暴力に支配された世界。
妻がとり残された世界は、雪景色の中の暗晦の世界。
そんなこのふたりを繋ぎ合わせているのは、絶望だ。
ふたりは離れた世界でそれぞれ弱肉強食の掟に晒され、歪みきっていく。
しかし、ふたりの闇はそんなもんじゃ済まされない。
正に副題通りのそこにある深い闇は、次第に無垢で無神経な彼らの息子にも忍び寄っていく。。
そこら辺の彼らの心象の背景が見えてくると、この作品のテイストはがらりと変わる。
ジェフリー・ライト演じるネイチャリストのラッセルに、メドラが慮りながらも伝えたかったのはその究極の自然の秩序。
更に異端監督として名高いジェレミー・ソルニエがここにダーウィンが提唱した性淘汰を引き合いに出してきたことにより、ストーリーは難解度が増していく。
原作ではこの夫婦は、元々双子の兄弟という設定だったようだが、監督がその説明を意図的に排除してきたのは、視聴者にただの近親相姦による罪悪感に駆られた妻の奇行として片づけられたくなかったからだろう。
ヒトにおける性淘汰の事例
ジェフリー・ミラーは、今まで注目されなかったダーウィンのアイデアから、生存に直接関わらないヒトの行動のうち多く(ユーモア、音楽、視覚芸術、言語創作能力、そしてある種の利他的行動)が性淘汰によって獲得された求愛行動であると言う仮説を立てた。同様の主張はジャレド・ダイアモンド、ヘレン・フィッシャーらも行っている。ヒトの性淘汰については進化人類学や進化心理学などで活発に研究されている。wikipediaより抜粋
つまり監督の意図したトコロは、オカルトものの様な狼伝説などではなく、れっきとした科学的根拠の元で残された劣勢遺伝子の淘汰。
それを、狼の子殺しに魅了された人間達がどうなぞらえていくのか・・?
人間の持つ叡智や倫理観も全く無視して、この真っ直ぐな自然の摂理に晒された中では、想像力や情緒に未だ乏しい彼らの子供は、まさに性淘汰されるべき対象なのだ。。。
『ホールド・ザ・ダーク』はNetflixで視聴出来ます。