マリブのブログ

ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ

映画『ウトヤ島、7月22日』の私的な感想―史上最大の殺戮劇をワンカットで撮る意味―

f:id:maribu1125:20190317182546j:plain

Utøya 22. juli/2018(ノルウェー)/90分
監督:エリック・ ポッペ
主演:アンドレア・バーンツェン/エリ・リアノン・ミュラー・オズボーン、ジェニ・スベネビク

 テロ事件を映像化する事の難しさ

この手の映画を観るには相当の気合がいる。

現に自分も一人では勇気が出せず、連れに付き合ってもらって観賞した。

 

77人の犠牲者(内政府庁舎前の爆弾での犠牲者は8人)と300人以上の負傷者を出したこの歴史上類を見ない凄惨なテロ事件を映画化する意義とはどこにあるのだろうか?

 

奇しくもこの大量殺人事件が起きた2011年は、日本では東日本大震災からの復興の真っ只中。。

自分たちの事情に追われ、8年間もこの事件の詳細を知らなかった自分もかなり恥ずかしいが、この作品を劇場で見た時には、まずその撮影方法に強く疑問を感じた。

 

犯人が蛮行に及ぶ12分前からの出来事を、72分間ワンカットで見せるそのスクリーンの中には、子供たちの悲鳴と怯えた顔しか映らない。。。

いくら流行りのPOVで事件の臨場感を伝えるにしても、それはあまりに苛烈過ぎる。

現に劇場内では席を立つ者が後を絶たず、たった90分の上映時間の中で5人もの観客が通路から出ていったが、自分も映画と言うよりは殆どドキュメンタリーのような性質を持つこの手の作風には、席にしがみついているのがやっとだった。

 

しかし、後日Netflixで配信されていた同じ題材を扱った映画『7月22日』を観て、監督のその真意にようやく触れていく。。

 

こちらの作品ではその事件の前に起こるオスロ政府庁舎爆破事件からの一連の流れが見て取れ、更にその後、生き残った少年の葛藤の日々を描いている。

けれど、その少年が対峙する相手は、どうしてもこの蛮行を行った犯人アンネシュ・ベーリング・ブレイビク本人であり、その彼の身上、更にはその幼少期から培われていった信念にも遂、目がいってしまう。

とは言えこちらの作品でも北欧映画独特の余韻で、視聴者に熟考させてくれる間合いを与えてもらえてはいるが、それでも反マルキストやら、自由主義者の殲滅なんて台詞が並ぶと、彼の歪んでいったその思想の背景を鑑みてしまうようになる。

 

一方、エリック・ ポッペ版『ウトヤ島、7月22日』では、そこら辺の犯人の心情、或いは彼の主張等は一切描かず、ただその当時の凄惨な光景が映し出されるのみ。。

 

・・それはまるで、永遠に続く煉獄のように。。。

 

つまり、同じノルウェー出身のエリック・ ポッペ監督は、この特殊な主義思想の入り混じった事件を政治的なプロパガンダに流用させず、あえて当事者である少年少女の目線に戻す事で、犯人を断罪しているのだろう。

 

 

 

 

f:id:maribu1125:20190317182610j:plain

 孤独な男に届ける叫び声

上述した様に、ノルウェー連続テロ事件の一片をそのまま切り取ったこの映画にあらすじはいらないが、犯人が軍事クーデターと称して行った一連の行動には、どうしてもその心理を深掘りをしたくなってしまう。。

なので今回は、監督の意思を最大限憂慮した上で、ノルウェーの事情を全く知らない自分と同じ目線の方達にその背景を少しだけ紐解いてみる。

 

北欧のノルウェーは欧州諸国の中でも最も裕福で安定した国の1つである。

立憲君主制の王国のイメージの強いかの国は心理社会的モラトリアムの発達から、日本人がこの手の事件を起こした犯人に必ず適用されると想像してしまう極刑が存在しない

昨日ニュージーランドで起こったクライストチャーチ銃乱射事件の犯人と同様、反イスラム主義を掲げるこの事件の犯人は、テレビやネットに繋がっていないパソコン、更にはDVDからプレステまで揃えた独房で今も暮らしている事には若干驚いてしまうが、その排他的な思想の裏には何があるのだろうか?

 

それは彼の生い立ちを少し鑑みると想像に容易い。

穏健フェミニストの母親に育てられたこの事件の犯人アンネシュは、幼少期の親の離婚から絶対的な愛情をあまり受けられず育った様で、その心の拠り所をカフカやジョン・ロック等のような哲学書の中に見出していく。

やがて若干19歳にして数千万の株式での負債を抱え移民労働局で働き始めた彼は、徴兵検査からも跳ねられた上で、その自我を保つ為に移民政策に反対的な進歩党へと傾倒。

そして過激な極右のサイトの会員になり始めた頃から、うぬぼれた自己承認欲求を満たす為にこの犯行を企てたようだが、そこにあるのは大袈裟な思想なんてものじゃなく、ただの孤独だったのだろう。

 

近年では、トランプが掲げる個人主義をバックボーンに、もはや世界中が多文化主義を否定し始める世相の中で、彼もきっとただ仲間を探していただけに過ぎないのではないだろうか?

裁判で精神疾患が言い渡されても尚、欧州の独立宣言なんて蒙昧な言節を述べようとするこの男には、あまりに切なくなる。

そんな死刑制度のない同国で、彼に若者たちの嗚咽の混じった悲鳴とその恐怖を届かせる為にも、エリック・ ポッペ監督はこの映画を製作したのだと願いたい。

 

映画の視点人物である少女が、最後まで自分より妹の身を常に案じていたのにもかかわらず、当時と同じ540発の銃声の最期で、二人共が救出される事が叶わなかったというこのフィクションの最大の皮肉は、冷情性を極めた彼の情動をいつか突き動かす日がくるのだろうか?

 

「ウトヤ島、7月22日」
10月16日よりTSUTAYAでレンタル開始されます。 

sponsored link