Stand by Me/1986(アメリカ)/89分
監督:ロブ・ライナー/原作:スティーブン・キング
出演:ウィル・ウィートン、リヴァー・フェニックス、コリー・フェルドマン、ジェリー・オコンネル、キーファー・サザーランド
永遠に感じた友情
ようやく東京にも春が近づいてきました。
このブログも今回でようやく50回目を迎えた事もあり、ちょっと今日は自分の人生に大きな影響を及ぼした名作を今更ながら紹介してみます。
もはや語りつくされた感のあるこの作品ですが、卒業シーズンということもあり、旅立つ若者達へのメッセージも込めて。。
子供から大人へと成長する過渡期のひんやりとした心の痛み。
永遠に感じたあの瞬間は、今思えばそれはこの作品同様思春期ならではの幼児性を秘めた願望で、立ち止まる事の出来ない人生においての一種のメタファに感じます。
否が応にも適応せざるえない社会の中で『スタンド・バイ・ミー』の少年たちがあの時追い求めていた幻想とはいったい何だったんでしょうか?
―――作家のゴーディーはある日新聞で、弁護士になった昔の友人クリスの死の記事を目にする。
言い表せないもどかしさの中、彼はクリスたちと過ごした少年時代の事を思い出す。
それは軍人になりたかったテディ、太っちょで気の弱いバーンの4人で最後に連れ立った暑い夏の2日間。
オレゴン州キャッスルロックにある、お世辞にも品がいいとは言えない田舎町で育った4人は、他愛もない遊びでいつもつるんでいる友達だった。
そんなある日バーンが、不良達のあるウワサを盗み聞いた事から4人は騒めきだす。
数日前に行方不明になった少年ブラワーの死体が、列車に轢かれたままの野ざらしで森の奥にあるという。
彼らはちょっとした好奇心から、その少年の死体を探す旅に出るが・・
スティーブン・キングの自虐
久々にこの映画を見返してみて思ったのは、
この作品はスティーブン・キングのコンプレックスから生まれた自叙伝だったのかなあというコト。。
74年、27歳の時に長編映画『キャリー』で脚本家デビューした彼のそれまでの半生は、お世辞にも幸せだったとは思えません。
彼は幼少期に蒸発した父親の代わりに残った母親の女手一つで育て上げられましたが、実は彼には血の繋がりのない兄がいます。
出産をあきらめかけていた両親が、キングが生まれる前に養子にしていた兄で、そんな彼と二人きりで育てられたキングは、察するに、きっと幼い頃から自分の居場所を探し続けていた子供だったのでしょう。
劇中のストーリーテラー的立場のゴーディーには、彼のそのカインコンプレックスな一面が色濃く受け継がれています。
そして臆病キャラのバーンは、彼の子供時代の体型をそのまま当てはめたような肥満児で、父親のPTSDに悩みながらも彼を愛してやまないテディには、蒸発した彼の父親に対する郷愁のようなものを投影していたような気がします。
そしてそんな子供時代のキングの戸惑いとコンプレックスの基で生み出された、幻想の中の友人が、今は亡きクリス。。
つまりこの冒険記は、彼の自虐的な幼少期の空想世界の中で逞しく紡ぎ上げられたキングのたった一人の物語だったんじゃないでしょうか?
だからこそ、この映画には全編を通じて哀愁が満ち溢れています。
後に、クリスを演じたリバーフェニックスは、作品の上映から7年後の93年に奇しくも本当に23歳の若さでこの世を去ってしまいましたが、それによりこの映画は一部のコアなファンの間では少しずつ伝説化されていきます。
下らない事を一緒にするという事
望郷の念や漂う哀愁もたまりませんでしたが、昔よりちょっと成長した自分が今回一番考えさせられたコトは、劇中随所に出てくる彼らの差別的言動の数々。
今ではもう描写する事さえ、映画倫理を問われカットされてしまいそうなシーンですが、私的にはけっこうしっくりきてしまったんですが・・
例えば、
ゴーディー達は事あるごとに互いの母親を侮蔑し、しかし約束をする時にはその母親を引き合いに出してみたり。
分かりやすい巨デブのゲロ吐き大会の話に準え、外見を蔑視する大人達への復讐心を隠喩したり。
更には、後のジャック・バウアーことキーファーサザーランド演じる不良少年エースが、溜まり場で仲間に、
「カトリックのオンナはヤラしてくれないから、プロテスタントにしろ!」
なんて台詞が平気で入っていますが、
これはプロテスタント系のミッションスクールに間違って留学してしまっていた自分から言わせれば、全然本当の話です。
批判を恐れず敢えて言いますが・・、
伝統や格式を重んじるカトリックに対し、信念や聖書そのものを重要視するのがプロテスタント。
要はお高くとまった上流家庭の子より、ちょっと情緒的で素朴な家庭の女子の方が結構ガードが緩いんです。
更にそのプロテスタントの中のバプテストと呼ばれる良心を重んじる田舎の高校生の実態なぞ酷いモノで、抑圧された教義や家族から解放された卒業生たちは、大学に進学すると同時に半数近くの女子が未婚の母になりました。
これは中部のど田舎に多い現象ですが、この物語の舞台でもあるオレゴン州(キャッスルロックは架空の設定ですが・・)にもこの手の良く言ってしまえば、牧歌的な風潮は当時はそれなりにあったはずで、私的にはアイロニカルなジョークにさえ聴こえてしまいます。
・・ちょっと話がそれましたが、、
あの頃の子供達には身近に差別や偏見が溢れていて、しかしそれに簡単に屈することなく、規制や倫理観なんて堅苦しいものじゃなく、それぞれが想像し、抵抗し、考え判断していたという事。
お互いの親を罵り合う事で憂さを晴らすゴーディー達も、例えば、コンプレックスを抱えるテディの父親の事に関してだけは絶対に触れません。
平等に馬鹿にし、平等に傷つき、平等に慰め合い、平等に成長していくその様子。
そうしてお互いを少しずつ認め合い、繋がっていく描写には飾り気のない本当の友情を感じます。
下らない事で喧嘩をし、下らない事で仲直りをし、
つまらない事で意地をはり、つまらない事で友達の為に命までかけるような少年期特有の青臭さがあってこそ、
その過程において、相手のキモチを理解し、分かち合い、尊重していけた気がします。
書くことが好きだったゴーディーは、自分と正反対のジョックな兄の死により、悲嘆にくれる両親を横目に漠然としたその夢を諦めようとしていました。
しかしクリスが励まし続ける事により、成長した後に、彼は物書きへとなります。
同時に、
クリスは貧しい家庭環境の中で、差別的な大人たちへの不信感を強めていきます。
しかしゴーディーがそばに寄り添い続ける事により、自信を取り戻した彼は貧困社会から抜け出し、果てには弁護士にまで出世していきます。
・・もうアタマの中に流れてきてしまいましたが、
これこそが正に『スタンド・バイ・ミー』な世界。
言ってしまえば、自らのトラウマを自作自演で克服してきたスティーブン・キングですが、その自虐的な環境の中で、必死にもがき苦しみながらもちゃんと人間と対峙してきたからこその彼なんじゃないでしょうか?
その追い求めていた幻想は、想像力を掻き立て歯を食いしばってきた日々の集大成であり、だからこそノスタルジックな中にもしっかりとした希望を感じられる色褪せない名作が出来上がった気がしています。
『スタンド・バイ・ミー』は
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